小田原市: 歴史
=== 古代 ===
先史時代の小田原の中里遺跡は、縄文人と渡来人が共存共栄した数少ない遺跡(地域)として知られ、人口比率は縄文人が多かったと考えられているが、他の地域と違い、点々と存在した渡来人のみの小規模の集落ではなく、縄文人と共存した大集落であった。また、縄文文化と渡来文化の境界の東端であったとも考えられ、日本の文化人類学や考古学において貴重な資料を提供している。
古代の相模国足下郡(あしがらのしものこおり)の地である。古名を「こゆるぎ」といい、「小由留木」「淘陵」などの字が宛てられた。「小田原」という地名は、「小由留木」の草書体を読み間違えたものという説がある。市内千代にあった千代廃寺は相模国国府とも足柄下郡郡衙の所在地といわれる。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて、平将門を討伐したことで有名な藤原秀郷の子孫・佐伯経範が長元3年(1030年)頃に秦野に移り住んで波多野氏を名乗った。後に支流として、松田氏・渋沢氏・河村氏・栢山氏・大友氏・沼田氏などが出て、相模西北部にその一族の勢力を伸ばす。現在の秦野市内、足柄上郡松田町・山北町、南足柄市、小田原市の一部。波多野城は一族の居館である。波多野城のあった田原の、その支城として「小田原」が設置されたと言う説もある。
平安時代の末期治承4年(1180年)に、蛭ヶ小島(伊豆国)で挙兵した源頼朝と平家方の大庭景親らとの、石橋山の戦いが行われた。
戦国時代には伊勢平氏流を称する伊勢盛時が小田原城を奪取し、その子孫である後北条氏は小田原城を中心に関東一円に台頭し、鎌倉府足利氏、関東管領上杉氏、常陸国守護佐竹氏、下野国国司宇都宮氏、その他関東八屋形に列せられた諸氏による当時の関東の統治体制を転覆した。なお、下野国守護小山氏は後北条氏により滅亡に追い込まれた。北条氏が治めた城下町は戦国時代で最も大きく発展したといわれる。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐による後北条氏の滅亡と徳川家康の江戸入府によって、小田原は歴史の表舞台から姿を消す。家康が関東を治めるようになった後は、部下の大久保氏が小田原に入った。
また後北条氏が滅亡するまで、関東一円の被差別民を支配し、皮革業に独占的な権益を持つなど勢力を誇った小田原太郎左衛門の本拠地があった。後北条氏が発給した判物が現存している。
江戸時代には東国の要衝として、譜代大名を領主とする小田原藩が置かれ、小田原はその城下町となった。貞享3年(1686年)以降は代々大久保氏の城下町となった。城下町・小田原は東海道の沿線であり、小田原宿は箱根の山越えを控えた宿場として東海道五十三次中最大の規模を誇った。又、小田原郊外の栢山(かやま)は、農政家・二宮尊徳の生地として有名である。
1868年(慶応4年)1月24日(旧暦1月1日) - 前夜来の大火が鎮火。焼失家屋600戸、被災者3000人。
1871年(明治4年)
7月14日 - 廃藩置県によって、小田原藩は小田原県となった。
年末に県合併により、相模川以西の旧相模国と旧伊豆国全域を管轄区域とする足柄県が設置され、県庁が小田原に置かれた。
1876年(明治9年) - 足柄県は分割され、小田原を含む相模国部分は神奈川県に、伊豆国部分は静岡県となり、小田原は県庁所在地ではなくなった。神奈川県となった後に設置された支庁も、間もなく廃止された。
1878年(明治11年) - 郡区町村編制法によって足柄下郡が編制、足柄下郡の郡役所が小田原に置かれた。
東海道本線は当初、小田原〜熱海〜沼津間の急鋭地帯を避けるために現在の御殿場線経路で敷設された。その後、小田原経由の路線として、小田原馬車鉄道という馬車鉄道が1888年(明治21年)に開通したのを皮切りに、熱海線(現在の東海道本線)・小田原急行鉄道(現在の小田急電鉄)なども開通した。
1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災では、直下が震源地だったために激しい被害を受けた。
1925年(大正14年)9月2日 - 市内に本店を構える小田原実業銀行が休業、事実上の経営破綻。銀行には町の公金約50万円が預金されており混乱が生じた。
1930年(昭和5年) - 宮内省が小田原御用邸の廃止を決定。
1933年(昭和8年) - 富水地区に水道水源を求める計画が地元住民の反対で中断。同年7月14日には井戸掘削業者や水道計画に賛成する者への襲撃事件が発生した。
1934年(昭和9年) - 丹那トンネル開通で、東海道本線はやっと小田原市街地を通るようになった。この辺は吉村昭の小説『闇を裂く道』(文春文庫)に詳しい。
1945年(昭和20年)8月15日 - 熊谷市と並び、太平洋戦争最後の空襲を受ける。
1951年(昭和26年)11月28日 - 万年町の工場から出火した火災が延焼して小田原大火となる。市街地321戸が全焼。
1962年(昭和37年) - 新小田原市民歌を制定。
1964年(昭和39年) - 東海道新幹線も開通し、東京・横浜への所要時間も大きく縮む。
1986年(昭和61年)1月27日には防災行政無線が開局される(当時の夕方のチャイムは「赤とんぼ(鐘系)」)。
1990年(平成2年) - 市制50周年を記念して、ときめき小田原夢まつりが開催された。
1998年(平成10年)4月1日 - 防災行政無線放送等が変更され、2016年(平成28年)10月1日に防災行政無線の夕方のチャイム「ゆりかごのうた」に変更された。
2016年(平成28年) - 南足柄市との合併を検討する協議会が設置。2020年度を目途に合併することを検討していたが、2017年12月に南足柄市側より方針が撤回された。
2022年(令和4年)11月1日 - 神奈川県は小田原市の繁華街のうち栄町1丁目、同2丁目、同3丁目および本町2丁目を県暴力団排除条例に基づき暴力団排除特別強化地域に指定。飲食店等と暴力団の間でみかじめ料のやり取りが禁止され、違反した場合には飲食店側にも罰則が科されることとなった。
1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災による地滑りにより根府川駅で普通列車が海中に転落、112人が死亡。
1933年(昭和8年)7月15日 - 足柄村騒擾事件
1949年(昭和24年)9月14日 - 小田原一家5人殺害事件
2017年(平成29年)1月 - 生活保護担当の市職員が生活保護受給者を威圧するようなメッセージの入ったジャンパーを10年間にわたり着用していたことが発覚し問題となった。