Heimatgeschichte · Tachikawa ·

立川市: 歴史

立川市: 歴史

江戸時代までは甲州街道および五日市街道沿いの村落に過ぎなかった。明治となって、板谷元右衛門(1842年生-1908年没)の大規模な土地の寄付による誘致運動によって、1889年に甲武鉄道(現在のJR中央線)が新宿-立川間で開業し、これ以降、立川市域南部の立川駅がターミナル駅となった。1922年立川飛行場が設置されたことによって商業・工業の集積が進んだことが、今日の繁栄の礎となっている。戦前は立川飛行場を中心とした軍事都市であり、戦後も1977年まで在日アメリカ軍の基地が置かれ、その後陸上自衛隊が使用している。跡地の一部は立川広域防災基地・昭和記念公園・ファーレ立川などに再開発され、商業施設や公共施設が立ち並んでいる。
2001年の「東京の新しい都市づくりビジョン」で核都市に指定されている。また、立川市を国立市と合併すると言う計画が存在していた(両市が合併すれば人口は25万人を超えて中核市への昇格が可能となる)。

2通りの説がある。

武蔵国府が現在の府中市にあった時代、その府中宿付近より見て現在の多摩市付近で東西に連なる山を多摩の横山と呼び、その多摩の横山から見て多摩川が縦方向(南北)に流れている近辺(現在の立川、日野近辺)を立の河と呼んでいた。立の河が次第に変化して現在の立川になったと言われている。よって、立川の「川」は現在の多摩川を指す。
地方豪族立川氏(たちかわ・し)が、現在の普済寺に城をつくったことから立川(たちかわ)になったと言われている。
なお、立川付近の多摩川の河原は立河原(たちかわのはら/たちがわら)と呼称(上記いずれの説に由来するのかは不明)され、後に合戦も行われている。

縄文時代 多摩川沿いの段丘に、大和田遺跡などの村落が形成される。
811年(弘仁2年) 諏訪神社が創建。
平安時代 立川氏が地頭となり、戦国時代末期まで領有する。
1353年(文和2年) 普済寺 (立川市)が開山。
1455年(享徳4年 - 康正元年) 分倍河原の戦いにおいて鎌倉公方足利成氏が立河原で追撃戦を行い、敵大将上杉憲秋がこの地で致命傷を負って高幡不動(異説あり)で自害した。
1504年(文亀4年 - 永正元年) 立河原の戦いが起こる。関東管領上杉顕定の大軍が上杉朝良・今川氏親・北条早雲の連合軍に敗退する。
1600年代 玉川上水の開通により、砂川で新田開発が進み、五日市街道周辺に村落が形成される。
1881年(明治14年) 柴崎村から立川村に改称。北多摩郡内に同名の柴崎村(現在の調布市柴崎)があったため、戦国期の郷名である「立川」に改称したとされる。
1889年(明治22年) 町村制施行に伴い、神奈川県北多摩郡立川村および砂川村が成立。甲武鉄道(現在のJR中央線)新宿駅 - 立川駅間が開通する。
1893年(明治26年) 神奈川県から東京府に移管される。
1922年(大正11年) 立川村に、陸軍飛行第5連隊の立川飛行場が設置される。
1923年(大正12年) 立川村が町制施行し立川町になる。
1940年(昭和15年) 立川町が市制施行し立川市になる。東京市、八王子市に次いで、東京府で3番目に市制施行し、かつ東京府時代最後の市制施行自治体となった。
1943年(昭和18年)7月1日 -東京都制施行に伴い、東京府立川市から東京都立川市に変更される。
1945年(昭和20年) 2月 - 8月、アメリカ軍による合計13回にわたる立川空襲により340人の犠牲者を出す。9月、敗戦にともないアメリカ軍により立川飛行場は接収され立川基地となる。これにより立川は基地の町として全国に知られるようになる。
1950年(昭和25年) この年に朝鮮戦争が勃発する。立川基地が出撃拠点となる。
1954年(昭和29年) 砂川村が町制施行して砂川町になる。
1955年(昭和30年) 立川基地拡張計画が発表される。「砂川町基地拡張反対同盟」が結成される。
1956年(昭和31年) 砂川闘争が起こる。
1958年(昭和33年) 市役所庁舎が錦町三丁目2番26号に落成。
1963年(昭和38年)5月1日、砂川町が立川市に編入され、旧砂川町役場は立川市役所砂川支所となる。なお、編入から半世紀以上経った現在も砂川地区住民は立川駅方面に行くことを「立川に行く」と言う。
1965年(昭和40年) この年にベトナム戦争が勃発する。立川基地は再び出撃拠点となる。第二次砂川闘争が起こる。
1968年(昭和43年) 西武鉄道拝島線の玉川上水駅 - 拝島駅間が開通する。
1969年(昭和44年)基地拡張計画が中止。同年12月8日、立川基地における米軍の飛行活動が停止。これより日本側へ基地返還が始まる。
1973年(昭和48年)立川市長による自衛隊員住民登録拒否事件が発生する。市長ら2名が起訴猶予処分となる。
1977年(昭和52年) アメリカ軍が横田基地へ移転。立川基地は日本に全面返還される。陸上自衛隊立川駐屯地、国営昭和記念公園、立川広域防災基地などに転用される。
1983年(昭和58年)10月26日 立川基地跡地に国営昭和記念公園が開園する。
1993年(平成5年)4月25日 - 11月7日、TAMAらいふ21が開催。国営昭和記念公園がメイン会場となる。
1994年(平成6年) 立川基地跡地の一部に、ファーレ立川が完成する。
1998年(平成10年) 多摩都市モノレール線 の立川北 - 上北台間が開通する。
2000年(平成12年) 多摩都市モノレール線の立川北駅 - 多摩センター駅間が開通する。
2010年(平成22年)
4月30日 砂川支所が廃止される(市役所が市域南部の錦町から、市域中央部の泉町に移転することに伴う)。
5月6日 市役所が泉町1156番地の9へ移転。

von Fremdinhalte · Regionauts

Quelle: Text: Wikipedia – „立川市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Ludvig14, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons