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西尾市: 歴史

西尾市: 歴史

古代においては、西尾市中心部(八ツ面山の西側)にあたる地域は幡豆郡熊来郷と呼ばれていた。古墳時代中期に築造された、吉良町にある三河最大級の前方後円墳・正法寺古墳は、対岸の宝塚1号墳(三重県松阪市)と類似した形状をしており、伊勢湾や三河湾の海上交通で覇権を得た豪族によるものと考えられる。
奈良時代には古代寺院志貴野廃寺が造営された。平安時代に荘園・吉良荘が置かれ、矢作川(現矢作古川)を境に、西条と東条に分けられた。鎌倉時代、13世紀に足利氏宗家第3代足利義氏が、承久の乱の恩賞として額田郡を領有し、鎌倉幕府の三河守護等として東海道矢作東宿(愛知県岡崎市明大寺町)に拠点を構え、地頭を務めた吉良荘の西条城(現西尾城)に庶長子吉良長氏を、東条城にその弟の吉良義継をそれぞれ置き、ここに吉良氏が発祥した。その後、足利氏宗家第四代足利泰氏の七男一色公深が吉良荘一色に分立され一色氏が、吉良長氏二男の今川国氏が今川荘に分立され今川氏が、それぞれ発祥するなど、足利氏支流の分立がなされた。室町時代には、東条・西条の両三河吉良氏は相伴衆とされた。
応仁の乱時や戦国時代、吉良氏は西条吉良氏と東条吉良氏に分かれて対立し、享禄2年(1529年)、岡崎城の松平清康により、東条吉良氏の分家荒川義広の居城・尾島城(小島城)が攻め獲られた。吉良氏はやがて庶流の駿河守護今川義元に隷属するようになる。義元の死後は、岡崎城の徳川家康から攻撃を受けるようになる。永禄4年(1561年)には、東条城の正面にあたる深溝城(額田郡幸田町深溝)を居城とする深溝松平家松平好景が善明堤の戦いで討たれるが、その後家康家臣の酒井正親が西条城を奪い、西尾城と改称した。同年の藤波畷の戦いでは西条吉良氏家老の富永忠元が討たれた。その後東条城の西条吉良氏・吉良義昭は降伏して岡崎に移され、東条城には東条松平家が入った。また義昭の兄吉良義安は、東条吉良氏を継いでいたが、徳川家康と親しく、義昭の逃亡後、家康に許されて東条西条の吉良氏を統一した。
江戸時代には、西尾藩や大多喜藩小牧陣屋等が置かれた。2011年に編入合併した幡豆町や吉良町には、旗本となった吉良家がかつて持っていた知行、八箇村3000石の領地が飛び地の形で点在していた。ただ赤穂事件で義央が討ち取られた後、1703年に吉良家は改易となり、旧吉良領の八箇村は、西尾藩のほか大多喜藩や沼津藩などの飛び地、寺社領、天領といった様々な領主が統治することになり、その後江戸期を通じで吉良氏は統治に関与していない。
産業では、1564年に愛知県内最古の塩田・白浜吉田塩田が作られるなど、古くから製塩が盛んで、良質とされた饗庭塩は矢作川を上り岡崎城下の塩座や、さらには足助街道、三州街道を通り、遠く信州塩尻宿(長野県塩尻市)まで運ばれた。

中世〜江戸期
1527年 - 久麻久神社本殿(国の重要文化財)が再建される。
1561年 - 酒井正親が西尾城主。
1585年 - 徳川家康の命により西尾城が改修される。
1601年 - 本多康俊が表高2万石で西尾藩主となる。
1605年 - 矢作川の新川掘割工事が完成し、米津側が本流となる。
1635年 - 平坂港が三河五港の一つに指定される。
1638年 - 藩主の太田資宗により西尾城総構えの工事に着手し、井伊直好が藩主であった1657年に完成する。
1707年 - 宝永地震による津波で、寺津、平坂が大きな被害を受ける。
1764年 - 松平乗祐(和泉守・大給松平)が入封する。
1823年 - 寺津八幡社神職の渡辺政香が、八幡書庫をつくる。
明治〜市制施行前
1869年3月 - 藩主の松平乗秩が版籍奉還の願書を出し、同年6月19日に許可される。
1871年7月14日 - 廃藩置県により西尾藩は西尾県となる。
1871年11月15日 - 西尾県は額田県に併合される。
1871年12月10日 - 西尾郵便局が設置される。
1872年3月 - 西尾城が解体される。
1872年11月27日 - 愛知県となる。
1876年6月17日 - 平坂村に郵便受取所(現・平坂郵便局)が設置される。
1878年 - 西尾城が廃城となる。
1879年 - 西尾警察署が設置される。
1883年5月24日 - 棉祖神を祀る天竹神社が建てられる。
1884年 - 西尾二等電信分局が設置される。
1891年10月28日 - 濃尾地震による津波で奥田新田の堤防が決壊し、死者60名が出る。
1899年 - 雲母坑での事故により、千年以上続いた八ツ面山での雲母採掘が中止される。
1904年12月16日 - 寺津村に郵便受取所(現・西尾寺津郵便局)が設置される。
1908年5月6日 - 岩瀬弥助が私立図書館の岩瀬文庫を開館する。
1909年3月24日 - 愛知県幡豆郡立農蚕学校(鶴城丘高等学校の前身)が創立される。
1910年 - 現在の市域内で電話が開通する。
1911年10月30日 - 西尾鉄道(開業時は西三軌道)の西尾〜岡崎新駅が開業する。
1914年10月30日 - 西尾鉄道が、西尾〜平坂臨港間(のちの名鉄平坂支線)を開業する。
1915年 - 北浜川(北浜悪水路)が完成する。
1918年2月22日 - 西尾町立西尾高等女学校(西尾高等学校の前身)が設立認可される。
1919年4月1日 - 愛知県立蚕糸学校(鶴城丘高等学校の前身)が設立され、翌年3月31日に農蚕学校を併合する。
1920年4月16日 - 室場郵便局が設置される。
1926年4月1日 - 愛知県立西尾中学校(西尾高等学校の前身)が設立認可される。
1926年9月1日 - 三河鉄道(現在の名鉄三河線)が大浜港から、中畑・平坂・寺津を経由して神谷まで開業する。
1928年10月1日 - 碧海電気鉄道が西尾まで開業する。
1932年4月19日 - 上永良神明社の大椎の木が国の天然記念物に指定される。
1933年5月21日 - 福地郵便局が設置される。
1933年9月21日 - 室戸台風で奥田新田、西奥田新田、南奥田新田の堤防が決壊する。
1935年10月1日 - 米津郵便局が設置される。
1941年6月1日 - 米野郵便局が設置される。
1942年4月1日 - 蚕糸学校を西尾実業学校に改称する。
1943年5月16日 - 西尾鶴城郵便局が設置される。
1943年12月16日 - 戦争による金属資材(レール)供出のため、名古屋鉄道(名鉄)西尾線(初代)の西尾〜岡崎新駅が休止される。
1944年12月7日 - 東南海地震により、現在の市域で死者32名が出る。
1945年1月13日 - 三河地震により福地村、三和村を中心に甚大な被害を受ける。死者765名。
1948年4月1日 - 学制改革により西尾高等女学校を愛知県立幡豆高等学校に、西尾中学校を愛知県立西尾高等学校に、西尾実業学校を愛知県立西尾実業高等学校に改組する。
1948年9月1日 - 西尾中町郵便局が設置される。
1948年10月1日 - 愛知県立幡豆高等学校と愛知県立西尾高等学校が合併して愛知県立西尾高等学校となる。
市制施行後
1955年4月 - 岩瀬文庫が西尾市に移管されて西尾市立図書館岩瀬文庫となる。
1958年10月 - 市内の電話が自動化される。
1959年9月26日 - 伊勢湾台風により市内が災害激甚地指定を受ける。死者20名、負傷者309名。
1960年2月1日 - 市章を制定する。
1960年3月27日 - 名鉄平坂支線が廃止される。
1962年3月1日 - 西尾永楽町郵便局が設置される。
1968年11月 - 市内の7農協(福地農協を除く)が合併し西尾市農業協同組合が発足する。
1975年3月 - 憩の農園が開園する。
1976年4月5日 - 愛知県立西尾東高等学校が開校する。
1988年5月1日 - 西尾簡易裁判所が廃止される。
1989年7月2日 - 名鉄西尾駅付近の高架化が完成し、西尾駅と西尾口駅が高架駅となる。
1991年4月 - 愛知県議会議員選挙の選挙違反事件で、市議会正副議長ら市議会議員が多数逮捕される。同年9月8日、議会定数の半数を超える17名の補欠選挙を行う。
1994年 - 西尾市バラ園が憩の農園に隣接して開園する。
1994年11月27日 - 中学生いじめ自殺事件が発生し、日本全国に波紋が広がる。
1995年12月26日 - 森下万歳(三河万歳 …

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Quelle: Text: Wikipedia – „西尾市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: T.Kiya from Japan, CC BY-SA 2.0 – Wikimedia Commons