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高岡市: 歴史

高岡市: 歴史

古代、現在の高岡の郊外は、越中国の国府であり、そのため、746年に国守として大伴家持が赴任し、在任した五年間にとても多くの秀歌を残した。これは、高岡市が“万葉の里”と呼ばれる由来であり、現在も行われている高岡万葉まつりのメインイベントである万葉集全20巻朗唱の会にも受け継がれている。
近世になると、1609年に加賀前田家2代当主前田利長が高岡城に入り、“高岡”の町(現在の高岡市中心部)が開かれる。それまでのこの一帯は「関野」(せきの)または「志貴野」(しきの)と呼ばれていた。今も関野神社、富山県立志貴野高等学校などに名前が残る。この1609年の開町により、近世高岡の文化が始まる。開町の当時は、5,000人にも満たない人々で町が構成され、城の周囲や南の台地に、侍屋敷が配置されていた。だが、1615年の一国一城令により高岡城は無くなる。当時「城の無い城下町は衰退していく」と言われていたが、3代当主前田利常の「高岡の人々の転出を規制し、商業都市への転換を図る」という政策が功を奏したため、高岡は発展の道を辿り始め、高岡の“商工業の町”としての歴史が始まっていく。高岡銅器や高岡漆器などもこの頃から始まった。
近代では、1889年4月1日に青森県の弘前市などの全国30都市と共に市制が施行され、日本初の市の1つとして、“高岡市”が誕生する。当時の高岡市は面積2.04km2、人口29,202人、世帯数7,086戸と、同時に市制施行した全国31市の中で最小規模の市であった。この頃から伏木港(現伏木富山港伏木地区)での交易が盛んになってくる。
現代では2005年11月1日に隣接する福岡町と新設合併し、新しく“高岡市”が発足する。2017年、次年度以降に従前の予算編成を行った場合、40億円以上の財源不足が生じることが判明、公共事業や補助金の廃止、抑制を打ち出すとともに2018年度から5年間を期間とする「財政健全化緊急プログラム」を策定した。その後、財政健全化が一定の成果を上げたことから、2021年度末をもって財政健全化緊急プログラムを1年前倒しで終了した。

5世紀頃 - 桜谷古墳が造成される。
8世紀頃 - 越中国が成立し、現在の高岡市伏木が国府となる。
741年 - 伏木に越中国分寺が建立される。
746年7月 - 大伴家持が越中国守となり、伏木に赴任。
751年8月 - 大伴家持が国守の仕事を終える。

=== 近世 ===
1609年9月13日 - 高岡城が完成し、“高岡”の町が開かれる。

1889年(明治22年)4月1日 - 市制の施行により、日本最初の31市のひとつとして、高岡市が発足する。当時は面積2.04km2、人口29,202人、世帯数7,086戸と、全国31市の中では最小規模であった。
1898年(明治31年)1月2日 - 中越鉄道高岡駅の開業。高岡・富山間の運行開始。
1916年(大正5年)9月1日 - 合併以前の市章が制定される。
1924年(大正13年)9月25日 - 高岡高等商業学校(後の富山大学経済学部・工学部)が設立される。
1934年(昭和9年)7月8日 - 本丸町に高岡電灯本社ビル(後の本丸会館)が竣工。

1946年(昭和20年)11月20日 - 旧「高岡市民の歌」(作詞: 藤沢克巳、作曲: 室崎琴月)を制定。
1951年(昭和26年)5月30日 - 伏木港と富山港が統合し、伏木富山港が生まれる。
1956年(昭和31年)
6月1日 - 財政再建団体の指定を受ける。
10月16日 - 市内初の自動信号機が市役所前交差点に設置。
1958年(昭和33年)10月 - 第13回国民体育大会の相撲競技が高岡古城公園相撲場で開催。同月22日には昭和天皇と香淳皇后が行幸啓。
1962年(昭和37年)5月3日 - 高岡市民憲章を制定。
1972年(昭和47年)3月28日 - 高岡駅南区画整理事業完成。
1973年(昭和48年)10月16日 - 北陸自動車道の小杉IC-砺波IC間、14.3キロが開通。
1974年(昭和49年)10月19日 - ミランドポリス市と姉妹都市提携を結ぶ。
1977年(昭和52年)4月8日 - フォートウェイン市と姉妹都市提携を結ぶ。
1980年(昭和55年)4月13日 - 市役所現庁舎完成。
1985年(昭和60年)8月10日 - 錦州市と友好都市提携を結ぶ。
1989年(平成元年)4月1日 - 市制施行100周年を迎える。
2004年(平成16年)4月1日 - 高岡駅前にウイング・ウイング高岡がオープン。
2005年(平成17年)11月1日 - 高岡市及び西礪波郡福岡町が合併して、高岡市が発足する。市章が新たに制定される。
2007年(平成19年)11月30日 - 中心市街地活性化基本計画が国に認定される。県内2番目。全国19番目。
2009年(平成21年)9月13日 - 開町400周年を迎える。高岡開町まつり。
2015年(平成27年)11月1日 - 合併10周年。新市民歌「ふるさと高岡」(作詞: 林真理子、作曲: 三枝成彰)を制定。
2020年(令和2年) - 全国的な新型コロナウイルス感染症の感染拡大が深刻化。学校の臨時休校が行われたほか、イベントなどの中止を余儀なくされた。
2024年(令和6年)1月1日 - 能登半島地震で富山県では観測史上初めて震度5強を観測。伏木地区を中心に液状化現象や建物の倒壊といった被害が発生。市内各地で断水も発生した。また、国宝「瑞龍寺」や「勝興寺」も被害を受けた。
2026年(令和8年)8月27日 - 集中豪雨により市内一帯が冠水。市内で床上浸水3棟、床下浸水73棟以上の被害。

1889年(明治22年)
4月1日 - 市制の施行により、日本最初の31市のひとつとして、高岡市が発足する。
1917年(大正6年)
5月15日 - 射水郡掛開発村の区域の一部及び佐野村の区域の一部を編入する。
1925年(大正14年)
8月1日 - 射水郡下関村を編入する。
1928年(昭和3年)
6月1日 - 射水郡西条村及び横田村を編入する。
1932年(昭和7年)
10月1日 - 射水郡佐野村の区域の一部を編入する。
1933年(昭和8年)
8月1日 - 射水郡二上村を編入する。
1942年(昭和17年)
4月1日 - 射水郡伏木町、佐野村、能町村、野村、二塚村及び守山村を編入する。
10月1日 - 射水郡新湊町を編入する。
1949年(昭和24年)
1月1日 - 西礪波郡福田村を編入する。
1951年(昭和26年)
1月1日 - 1942年(昭和17年)に編入する旧射水郡新湊町の区域が分立して、射水郡新湊町及び牧野村が発足する。
3月17日 - 西礪波郡国吉村を編入する。
4月4日 - 射水郡牧野村を編入する。
1953年(昭和28年)
10月5日 - 氷見郡太田村、西礪波郡石堤村及び東五位村を編入する。
1954年(昭和29年)
4月1日 - 西礪波郡小勢村を編入する。
1955年(昭和30年)
4月1日 - 西礪波郡立野村を編入する。
1966年(昭和41年)
2月10日 - 西礪波郡戸出町及び東礪波郡中田町を編入する。
2005年(平成17年)
11月1日 - 高岡市及び西礪波郡福岡町が合併して、高岡市が発足する。これによって、西礪波郡は消滅。

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Quelle: Text: Wikipedia – „高岡市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Triglav, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons