磐田市: 歴史
律令時代以降は遠江国の国府・国分寺が置かれた政治文化の中心都市であった。戦国時代から江戸時代にかけては、東海道宿場町である見付宿があった見付地区が発達した。東海道本線敷設以後は駅が設置された中泉地区も発展。見付と中泉が合併した1942年(昭和17年)以降は郡名に由来した磐田の自治体名で呼ばれることになった。現在は、輸送機器産業を始めとする工業都市であり、隣接する浜松市の衛星都市である。2005年4月1日に、旧磐田市と磐田郡竜洋町、福田町、豊田町、豊岡村が新設合併して現在の磐田市となった。
特徴:古墳の時代
黒曜石の石器や貝塚が発掘されており、石器時代、縄文時代より人々が生活していた。
銚子塚古墳附小銚子塚古墳、御厨古墳群など古墳が多く存在。その規模から、現在の磐田市がこの地方の中心地であったことが示されている。畿内古墳と類似した石室・埴輪が見られる。出土した三角縁神獣鏡は、現在は東京都の国立博物館にある。また成務朝に物部氏の流れを汲む遠淡海国造を設置したとされる。
特徴:「遠江府中」の時代、遠江国の中心地
律令制度下では遠江国の国府が置かれ、国分寺が建立された。以後室町時代まで、磐田市は「遠江府中」とも呼ばれ、遠江国の中心都市であった。
700年:漆部造道麻呂が遠江国の国司になる。
1158年:平重盛が遠江国の国司として赴任する。
1200年:北条時政が遠江守になる。
特徴:「見付」の時代、東海道の宿場町
戦国時代には、徳川家康が城之崎に築城を試みるが、井戸が掘れず途中で中止し、濱松に築城した。これ以後、磐田市は「見附」と呼ばれるようになり、見付は家康の所領であった。家康が江戸に移封された後も、家康との繋がりは深く、現在の磐田駅の南方には、陣屋である中泉御殿が設けられた。御殿東側に中泉陣屋を設けた。
江戸時代には、東海道五十三次の一つ・見付宿の宿場町であった。
1875年(明治8年) - 見付学校が完成した。現存する小学校校舎では、日本最古の木造擬洋風の校舎である。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、磐田郡見附宿が単独で磐田郡見付町が、豊田郡中泉町と山名郡二ノ宮村が合併して豊田郡中泉町がそれぞれ発足。
1896年(明治39年)4月1日 - 磐田郡・山名郡および長上郡・豊田郡の一部をもって、改めて磐田郡を設置。中泉町の所属郡が磐田郡に変更。
1918年(大正7年)8月15日 - 県内各地で発生した米騒動が見付にも波及。群衆が米穀店などに押しかけて破壊活動を行う。
1929年(昭和4年)3月1日 - 磐田郡中泉町が、梅原村を編入し、改めて磐田郡中泉町が発足
1930年(昭和5年)5月30日 - 昭和天皇が静岡県内を行幸。中泉町内は県立中泉農学校を視察。
1940年(昭和15年)11月1日 - 磐田郡見付町・中泉町・西貝村・天竜村が合併し、磐田郡磐田町が発足。
1948年(昭和23年)年4月1日 - 市制施行し、磐田市となる。
1955年(昭和30年)
1月1日 - 磐田郡大藤村・向笠村・御厨村・南御厨村を編入。(南御厨村の一部は磐田郡福田村に編入)
4月1日 - 磐田郡長野村を編入。
1956年(昭和31年)
1月1日 - 磐田郡岩田村を編入。
9月1日 - 磐田郡田原村を編入。
1957年(昭和32年)9月1日 - 磐田郡於保村の一部(浜部・下、大原の一部)を編入。
2005年(平成17年)4月1日 - (旧)磐田市、磐田郡豊田町・竜洋町・福田町・豊岡村と合併し、改めて磐田市が発足。
2020年(令和2年) - 新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い学校の臨時休校、市内で開催するイベントや祭事などが中止、縮小。
2023年(令和5年)6月3日 - 令和5年台風第2号の集中豪雨により敷地川の堤防が決壊、流域が冠水。静岡県が災害救助法の適用を決定した。
== 行政 ==
市長
草地博昭
市役所
市役所支所:福田支所、竜洋支所、豊田支所、豊岡支所