松阪市: 歴史
=== 元伊勢の伝説 ===
皇祖神である天照大御神が現在の伊勢神宮の地に鎮座する以前、一時的に祀られたという伝承を持つ神社・場所、いわゆる「元伊勢」に挙げられる神社・場所が現在の松阪市域内に存在する。
『日本書紀』、『皇太神宮儀式帳』、『倭姫命世記』などによると、第10代崇神天皇の皇女である豊鋤入姫命に始まり、継いで第11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫命が理想の鎮座地を求め各地を転々とし、最終的に現在地に天照大御神が遷座することになったとされる。
各書物では元伊勢の地として飯野高宮が挙げられており、かつて飯野郡から現代に残る神山神社、牛庭神社、花岡神社などが伝承地(候補地)となっている。
なお、『倭姫命世記』では以下の記述もある。
飯高県造(あがたのみやつこ)の祖である豪族・乙加豆知命(おとかづちのみこと)が自身の納める国の名を問われ、飯高国と答えたこと
天照大御神が飯野高宮に留まった際に服織社があったこと、現在の伊勢神宮の地への鎮座時に近くに機殿(宇治の機殿)を建てたこと
470年(雄略天皇1年) - 大陸から機織り技術伝来。「漢機」(あやはとり)、「呉織」(くれはとり)が現在の松阪市東部一帯(後の飯野郡や現在の機殿地区あたりか?)に定住。(参考文献:『日本書紀』)
645年〜654年頃(孝徳天皇在位期間)- 飯高県造の支配領域も含めて、伊勢国が成立。
664年(天智天皇3年)
- 伊勢神宮の神郡であった伊勢国多気郡から4郷が分離し、公領として飯野郡(現在の櫛田川下流周辺地域に相当)が誕生。
- 飯野郡流田郷服村(現在の松阪市大垣内町あたりとされる)にて、神麻続機殿と神服織機殿を合わせて一殿として再建。(参考:『神宮雑例集』。なお、流田郷は飯野郡誕生前は多気郡にあったと想定される。)
7世紀末頃 - 天武天皇により授けられた「連」(むらじ)の「姓」(かばね)により、「漢機」が「服連」、「呉織」が「麻続連」となり、伊勢神宮への織物の献納が義務化。
742年(天平14年)- 飯高郡出身の采女(うねめ)である笠目(後の飯高諸高)の親族筋の県造等に対し、朝廷に服属した有力豪族を示す「君」(きみ)の「姓」(かばね)が授けられる。
889年(仁和5年)- 宇多天皇により、飯野郡が一代限りで伊勢神宮に再寄進された。
897年(寛平9年)- 醍醐天皇により、飯野郡が永遠に神郡に復帰することとなった。度会郡、多気郡とともに神宮の支配が強い「神三郡」または「道後三郡」と呼ばれた。
1006年(寛弘3年)- 桓武平氏であり伊勢平氏の祖でもある平維衡が伊勢国司(伊勢守)となる。平維衡は平清盛の直系先祖。飯高郡・飯野郡も平維衡の統治範囲だったと想定される。(ただし、藤原道長により僅か2ヶ月で解任。)
1079年(承暦3年)- 神麻続機殿が飯野郡井出郷(現在の松阪市井口中町)に遷される。
1185年(寿永4年)- 壇ノ浦の戦いで源氏が勝利し、平家(平清盛一門)が滅亡。
1185年(文治1年)- 飯高郡が伊勢神宮の神郡に加入。
1222年(貞応1年)- 飯高郡における伊勢神宮領である勾御厨(まがりのみくりや)が、伊勢国守護職となった北条時房に与えられる。なお、時房は鎌倉幕府2代執権・北条義時の弟。(参考文献:『吾妻鏡』)
1338年(建武5年)- 南朝の重臣であった北畠親房の三男・北畠顕能が伊勢国司となり、飯高郡と飯野郡を含む伊勢国における雲出川以南の南伊勢地域を掌握。
1567年(永禄10年)- 織田信長の侵攻に備え、北畠具教が飯高郡細首に細首城を築城。
1569年(永禄12年)- 織田信長軍の木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)らによって阿坂城が落城。次いでの大河内城の戦い後、織田信長の次男・織田信雄が北畠具房の養子となる。(信長による具教との和睦策とされる。)なお、この戦いが蒲生氏郷にとって初陣であり、織田信長によって戦での手柄が認めれ、娘の冬姫と結婚した。
1576年(天正4年)- 織田信長により、具教等北畠一門滅亡。
1577年(天正5年)- 生き延びていた北畠具親が飯高郡森城で挙兵するも、織田信雄によって鎮圧・落城。
1580年(天正8年) - 織田信雄が細首城を改築し、松ヶ島城として築城。火事で消失した度会郡田丸城から松ヶ島城に遷った。
1582年(天正10年)- 本能寺の変により織田信長死亡。北畠具親が伊勢五箇篠山で再挙するも、再び織田信雄軍に敗北。
1584年(天正12年)- 羽柴秀吉と織田信雄が対立。羽柴秀吉の命を受けた羽柴秀長や蒲生氏郷らが、織田信雄の家老滝川雄利が籠る松ヶ島城を攻略。松ヶ島城には蒲生氏郷が入城。北畠具親は蒲生氏客臣となる。
1585年(天正13年)- 蒲生氏郷が飯高郡矢川庄「四五百の森」(よいほのもり)における松坂城の築城、および松ヶ島城の解体を開始。
1586年(天正14年)- 北畠具親が病没。
1588年(天正16年) - 蒲生氏郷が松坂城築城を終え、入城。築城された四五百の森がある矢川庄周辺を「松坂」と名付ける。
1590年(天正18年)- 蒲生氏郷が陸奥国会津に国替え。
1591年(天正19年)- 服部一忠が松坂城主となる。
1598年(慶長3年) - 豊臣秀吉が病死。
1600年(慶長5年) - 古田重勝が松坂藩を立藩し、初代藩主となる。
1603年(慶長8年) - 徳川家康が江戸幕府を開く。
1619年(元和5年) - 二代目藩主の古田重治が石見国浜田城に転封となり、松坂藩は廃藩。徳川家康の十男・徳川頼宣が紀州藩初代藩主となるとともに、松坂は近隣の田丸と白子とともに紀州藩の領地(飛び領地)になる。松坂城は松坂代官が預かることとなる。なお、徳川頼宣は徳川御三家の一つ、紀州徳川家の祖。これ以降、明治維新までの約250年間の松坂は紀州徳川家の管理下に置かれることとなった。
1631年(寛永8年)- 角屋七郎兵衛が安南(現在のベトナム)に渡航。(のちに、松坂木綿の縞柄デザインのルーツとなる柳条布(りゅうじょうふ)をもたらす。)
1635年(寛永12年)- 藤堂高吉が江戸幕府から飯野郡・多気郡内2万石の所領を与えられる。(翌年、伊賀国名張に移封。)
1640年(寛永17年)? - 台風で松坂城の天守閣が倒壊したとされる。
1673年(延宝1年)- 三井高利が江戸日本橋本町一丁目に呉服屋「三井越後屋呉服店」を開店。
1683年(天和3年)- 三井高利が江戸日本橋駿河町に「越後屋三井両替店」を開店。(呉服店は前年に同・駿河町に移転。)
1796年(寛政8年)- 本居宣長が『源氏物語』の注釈書『源氏物語玉の小櫛』を完成。作品の本質は「もののあわれ」と説く。
1798年(寛政10年)- 本居宣長が『古事記』全44巻の註釈書『古事記伝』を完成。
1804年(文化1年)- 松坂学問所設立。
1863年(文久3年) - 松坂城を警護する徳川ゆかりの紀州藩士の住居として、御城番長屋が建てられる。 …