ひたちなか市: 歴史
歴史は古く、石室内の彩色壁画で有名な虎塚古墳など古代からの遺跡が残っている。
市内武田は甲斐源氏発祥の地である。
戦国時代に佐竹氏の領地となる。
江戸時代に水戸藩領となり、那珂湊は水戸の外港として栄えた。
近代になると勝田に日立製作所の工場が多数建ち、工業が盛んになる。
日本陸軍の演習場・飛行場・飛行学校、日立兵器株式会社の工場が置かれた。
勝田は第二次世界大戦末期にアメリカ海軍・イギリス海軍による艦砲射撃を受けた(日立艦砲射撃)。
==== ひたちなか市発足以前 ====
1897年(明治30年)
2月25日 - 日本鉄道磐城線(現・常磐線)の水戸駅 - 平駅(現・いわき駅)間が開業し、現市域に佐和駅が設置。
11月16日 - 太田鉄道(現・水郡線)の水戸駅 - 久慈川駅間が開業し、現市域に青柳駅(現・常陸青柳駅)が設置。
1910年(明治43年)3月18日:常磐線水戸駅 - 佐和駅間に勝田駅が開業。
1913年(大正2年)12月25日 - 湊鉄道(現在のひたちなか海浜鉄道湊線)勝田駅 - 那珂湊駅間が開業。順次延伸され、1928年(昭和3年)7月17日に阿字ヶ浦駅まで開業。
1954年(昭和29年) - 勝田市・那珂湊市がそれぞれ発足(詳細な経緯は行政区域変遷節を参照)。発足当時(1954年末)の人口は、勝田市35,937人、那珂湊市32,787人。
1991年(平成3年)10月5日 - 国営ひたち海浜公園が一部(70ha)開園。
1994年(平成6年)11月1日 - 勝田市と那珂湊市が合併し、ひたちなか市が発足。平成の大合併に先駆けて行われた合併で、平成初の新自治体発足となった。合併直前(1994年10月1日時点)の人口は合計146,988人(勝田市114,685人、那珂湊市32,303人)。
1995年(平成7年)
6月 - 常陸那珂港(現:茨城港常陸那珂港区)が中核国際港湾となる。
11月1日 - ひたちなか市市章、ひたちなか市市民憲章を制定。
1998年(平成10年)10月 - 常陸那珂港(現:茨城港常陸那珂港区)北ふ頭地区内貿バース供用開始。
1999年(平成11年)7月 - 東水戸道路・常陸那珂有料道路全線供用開始。
2000年(平成12年)4月 - 常陸那珂港(現:茨城港常陸那珂港区)北ふ頭地区外貿バース供用開始。
2002年(平成14年)
7月 - 勝田駅舎及び東西自由通路が供用開始。
国営ひたち海浜公園でネモフィラの植栽を開始。
2006年(平成18年)10月22日 - コミュニティバス「スマイルあおぞらバス」の運行が開始。
2008年(平成20年)
4月1日 - ひたちなか海浜鉄道が開業。
12月 - 日立港、常陸那珂港、大洗港の三港が統合され、茨城港となる。常陸那珂港は茨城港常陸那珂港区に。
2010年(平成22年)6月29日 - ひたちなか総合病院がリニューアル。
2011年(平成23年)3月11日 - 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生。ひたちなか市では最大震度6弱を観測。ひたちなか市市内では死者2名、負傷者28名の人的被害が発生し、各地で建物被害、停電、断水等が発生。
2012年(平成24年)6月 - 勝田駅東口再開発事業が竣工。
2013年(平成25年)3月 - 勝田駅西口交通広場の整備が完了。
2014年(平成26年)10月1日 - ひたちなか海浜鉄道湊線 高田の鉄橋駅が開業。
2019年(令和元年)11月23日 - ほしいも神社が創建される。
2021年(令和3年)
1月15日 - ひたちなか海浜鉄道湊線の延伸に関する第一種鉄道事業許可申請が許可される。
3月13日 - 市内の小中学校が統合して開校したひたちなか市立美乃浜学園近くにひたちなか海浜鉄道湊線 美乃浜学園駅が開業。
6月19日 - 阿字ヶ浦駅に「ひたちなか開運鐡道神社」が完成。
2023年(令和5年)9月2日 - 佐和駅東西自由通路及び新駅舎の供用開始。
合併構想
ひたちなか地区を共有する東海村との合併が長年の懸案となっている。また、生活圏や商圏をほぼ同じくする水戸市などとの合併への動きもかつてはみられた。
※細かい境界の変遷は省略
変遷の年表
変遷表