米子市: 歴史
=== 古代 ===
古事記においては国生みの際、淡嶋が出現するが、これが米子市の粟島神社があるあたりであるとすることが言われている。
また、同書には隣接する島根県安来市に国生みの神イザナミが崩御されたという比婆山に関し、伯耆と出雲の堺と記され、この神陵地確定の根拠となる要所でもある。
戦国時代
戦国末期には伯耆西部は出雲の東部とともに吉川広家が治めていた。
安土桃山時代
関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601年)に徳川家康にの命により、伯耆国17万5000石の領主として中村一忠が封せられ、1602年(慶長7年)に米子城の築城工事で城下町が完成したといわれている。藩主の中村一忠は11歳と幼少のため、執政家老横田村詮が新たに米子藩城下町を建設し藩政を治めた。1609年に藩主の中村一忠が急死し中村家は断絶した。
1610年に加藤貞泰が入城した。
江戸時代
中江藤樹(近江聖人と呼ばれる)は少年期を過ごしたが、加藤家の伊予大洲藩へ移封に伴い米子を去った。その後池田氏が治めることとなり、1632年(寛永9年)以後は、池田氏家老荒尾氏が自分手政治を行った。
明治時代
1871年の廃藩置県で鳥取県となり、1872年に米子城の土地、建物は米子在駐の大四大隊の士族らに払い下げられた。
1889年の町村制の施行により、会見郡米子町が発足する。郡の統合により、西伯郡の所属となった後に、1927年に市制施行し米子市となる。
米子市の中心街は自動車の進入できない狭隘な街路が多く、1960年代後半から急速に進んだモータリゼーションの影響で交通事情が悪化し、防災面でも極めて大きな問題を抱えていた。これの解消を目的として米子駅前通り土地区画整理事業の施行が企図され、1970年7月の事業計画認可・着工から13年間を経て1983年6月に完工した。
施行区域は茶町全域、明治町、万能町、末広町、塩町、東町、日野町、加茂町一、二丁目、久米町、弥生町の一部、計十一町、施行面積は二十万四千九百七十八平方メートル。
2005年3月31日に米子市及び西伯郡淀江町を廃し、その区域をもって米子市を設置する。
米子町が発足する前
1575年 - 京都より薩摩に戻る途中の島津家久一行、米子を通過する。「よなこといへる町」との記述からも、少なくともこの頃には町が形成されていたと思われる(『中書家久公御上京日記』)。
1596年 - 吉川広家米子城を湊山に築城を始める
1601年 - 中村一忠が米子城に入城し米子藩とする。
1603年 - 一部側近の讒言に惑わされた中村一忠は執政家老横田村詮を殺害する(米子城騒動)。
1609年 - 藩主中村一忠が急死し中村家は断絶。
1610年 - 米子城に加藤貞泰が入城。
1617年 - 加藤貞安伊予国大洲に転封となる(米子藩廃藩)。池田光政、播磨から因幡・伯耆に移封。
1618年 - 米子町人大谷甚吉、村川市兵衛幕府より竹島渡航を許可され、あわびアシカなどの魚猟、木竹伐採を行う(竹島一件)。
1632年 - 池田光仲、池田光政と国替えとなり因幡・伯耆両国三十二万石を領し鳥取城主となる。荒尾氏による自分手政治はじまる。
1697年 - 河崎村開拓される。
1869年 - 荒尾氏による自分手政治廃止。
1871年
7月 - 廃藩置県。鳥取県誕生。
11月 - 因幡国、伯耆国は鳥取県となる。
1872年1月 - 区制をしき、町を3区にわけて戸長を置く。
第82区(東町、堀端町、郭内、西町、宮町、中町、五十人町、内町及び天神町)
第83区(博労町、糀町、道笑町、日野町、茶町、塩町、大工町及び新博労町)
第84区(法勝寺町、紺屋町、四日市町、東倉吉町、西倉吉町、尾高町、岩倉町、立町、灘町、灘町新田、寺町及び新法勝寺町)
1873年12月 - 大区小区制の施行により、米子は第13大区に入り、第82区は小4区、第83区は小3区、第84区は小5区となる。
1875年 - 米子城が切り売りされる。
1876年8月 - 鳥取県は島根県に編入する。
1877年5月 - 勝田村を米子に編入する。勝田町となる。
1878年7月 - 郡区町村編制法の施行により、島根県会見郡米子町及び汗入郡淀江町が発足する。
1881年9月 - 島根県から因幡国及び伯耆国の区域を分立して、鳥取県が発足する。
米子町(1889年 - 1927年)時代
1889年10月1日 - 町村制の施行により、会見郡米子町及び汗入郡淀江町が発足する。
1896年3月29日 - 郡の統廃合により、会見郡及び汗入郡の区域をもって、西伯郡が発足することにより、米子町及び淀江町は、西伯郡の所属となる。
1900年5月10日 - 現在の市章である町章を制定する。
1926年9月10日 - 西伯郡成実村の区域の一部を米子町に編入する。
米子市(1927年 - 2005年)時代
1927年4月1日 - 西伯郡米子町が鳥取県下で2番目に市制施行して、米子市となる。
1935年9月25日 - 西伯郡住吉村を米子市に編入する。
1936年7月15日 - 西伯郡車尾村を米子市に編入する。
1938年3月17日 - 西伯郡加茂村、福米村及び福生村を米子市に編入する。
1942年8月6日 - 米子中学校(現:鳥取県立米子東高等学校)から出火。校舎3棟全焼。
1945年
3月 - 米子医学専門学校(現・鳥取大学医学部)が開校。
7月24日 - 7月28日 - 米子空襲。特に28日の空襲では最大の被害が出た。
1947年11月28日 - 昭和天皇の戦後巡幸。啓生小学校校庭で奉迎が行われる。坂口平兵衛宅に宿泊。
1950年4月 - 鳥取県産業観光米子大博覧会開催。8月 - 米子鉄道管理局開設。
1951年6月 - 土曜夜市始まる(1973年からは土曜市)。
1953年10月1日 - 西伯郡五千石村及び尚徳村を米子市に編入する。
1954年6月1日 - 西伯郡彦名村、崎津村の区域の内、大崎及び葭津の区域、和田町、大篠津村、成実村、富益村、夜見村及び巌村を米子市に編入する。
1955年9月1日 - 西伯郡淀江町、大和村、宇田川村及び高麗村の区域の内、今津の区域が合併して、改めて淀江町が発足する。
1956年7月10日 - 西伯郡春日村を米子市に編入する。
1964年4月 - 国立米子工業高等専門学校が開校。
1967年4月1日 - 「米子市の歌」(初代)を制定。
1968年4月1日 - 西伯郡伯仙町を米子市に編入する。
1970年7月23日 - 松江相銀米子支店強奪事件が発生。
1974年8月 - 米子がいな祭始まる。
1981年8月 - 日本最初のトライアスロンを皆生で開催。
2000年10月6日 - 鳥取県西部地震発生。米子市博労町では震度5強を観測。
米子市(2005年 - )時代
2005年
3月31日 - 米子市及び西伯郡淀江町が合併して、改めて米子市が発足する。
12月1日 - 市章を改めて制定する。
2008年11月11日 - 米子市中心市街地活性化基本計画が内閣総理大臣の認定を受ける。
2015年3月31日 - 新設合併10周年。「米子市の歌」(2代目)を制定。