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入間市: 歴史

入間市: 歴史

奈良時代には、前内出窯、平安時代には、須恵器窯跡群である東金子窯跡群(窯跡群としては前内出窯を含む)が操業していた。そのうち、八幡前窯跡群や新久窯跡群は、埼玉県南部の集落に須恵器を広く供給するのみならず、武蔵国分寺の塔再建の瓦などを生産していた。
市内の中核を成していた扇町屋商店街はかつて日光脇往還・八王子通り大山道の宿場町として栄えた名残りである。

1938年(昭和13年)陸軍航空士官学校(現航空自衛隊入間基地)が開設。
1945年(昭和20年)陸軍航空士官学校は戦後進駐軍に接収され、翌1946年「ジョンソン基地」と命名される。
1956年(昭和31年)9月30日、豊岡町、金子村、宮寺村、藤沢村、西武町の一部(旧東金子村)が合併し、入間市の前身となる武蔵町(むさしまち)が発足。
1958年(昭和33年)10月14日、元狭山村の一部を合併。
1958年(昭和33年)航空自衛隊入間基地が発足する。
1966年(昭和41年)11月1日、武蔵町を入間町と改称した上で即日市制施行。入間市となる。
豊岡は兵庫県豊岡市と被り、武蔵はどこにあるかピンと来ないうえ東京都武蔵野市と間違えられるとのことから、入間郡を由来に入間市となった。
入間と狭山の地名は入り組んだものになった。その後狭山市では2009年4月、地名混同を避けるため旧入間村に由来する地域名「入間地区」を入間村成立以前の村名に由来する「入曽地区」に改め、狭山市内の「入間地区」の名称は公式には廃止となり、現在は一部の自治会名や事業者等に残るのみとなっている。
1967年(昭和42年)4月1日、西武町を合併。ほぼ現在の市域となる。
1978年(昭和53年)ジョンソン基地が全面返還される。
1983年(昭和58年)4月1日、狭山市との境界が変更され、現在の市域となる。
1987年(昭和62年)武蔵藤沢駅周辺土地区画整理事業が開始される。
2021年(令和3年)9月11日・12日、入間市として初の試みである公開事業仕分け「入間ドック」を実施。
2023年 (令和5年)5月 県内自治体初となる「パーパス~心豊かでいられる、「未来の原風景」を創造し伝承する~」を策定する。

古代の律令制施行による国郡里制以来の郡名「入間郡」に由来する。
1966年(昭和41年)11月1日の市制施行にあたって市名を一般公募し、応募者数2332人、応募市名297点の中から3位の「入間」(いるま)が選ばれた。なお、1位は東豊岡市(豊岡市と区別するために「東」を冠した)、2位は武蔵市であった。選出理由については、

この地域は昔から「入間野」と呼ばれており、この地域で作られる生産物に「入間」の文字が一般的に用いられている。
「入」の字は「豊かな収入」を、「間」の字は「太陽を囲んだ平和な生活を営むこと」を表す。
とされる。

入間の「入」を若鷲の形にし、円は円満、融和と団結、中央の白い部分で市の躍進向上を表している。

狭山市・入間市合併協議会を設置し、狭山市との合併を検討していた。合併期日は2006年1月1日とし、合併方式は新設(対等)合併、新市名は「狭山市」、新市庁舎は現狭山市役所とすることとした。しかし、2005年1月30日に集計された市民へのアンケートで合併反対が多数となり、住民投票でも合併反対が多数となったため、合併協議会は同年2月3日に解散した。

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Quelle: Text: Wikipedia – „入間市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Syohei Arai, CC BY-SA 4.0 – Wikimedia Commons