草津市: 歴史
現在の草津市域は、近江国栗太郡に属した。
戦国時代
室町幕府15代目将軍足利義昭と共に京へ上洛した織田信長は、提示された管領または副将軍の職を辞退し、代わりに堺・大津・草津の支配権の承認を求めた。
当時の草津は、東海道・中山道および琵琶湖の湖上交通を結ぶ交通の要衝であり、鉄砲の名産地であり世界的な貿易港としての役割を持つ堺や、京都の外港あるいは衛星都市としての役割を持つ大津と並び重視されていたことが分かる。
江戸時代
江戸時代になると五街道が整備され、市中心部は東海道と中山道の両者にまたがる宿場町(草津宿)として、市南西部の矢橋は東海道の短縮ルートにあたる港町として発展した。
沿革
1954年(昭和29年)10月15日 - 栗太郡草津町・笠縫村・老上村・志津村・山田村・常盤村が合併して発足。
1956年(昭和31年)9月1日 - 栗太郡栗東町の一部(大字渋川)を編入。
1964年(昭和39年)7月 - 市制10周年を記念し「草津市民歌」を制定。
1986年(昭和61年)3月24日 - 大津市と境界変更。草津市岡本町の一部を大津市に編入。大津市上田上平野町、上田上桐生町の一部を草津市に編入。