足利市: 歴史
下野国足利荘は清和源氏義家流四男・義国からの足利氏ゆかりの地で、平安時代末期には足利義兼が源頼朝の縁戚として鎌倉幕府創設に尽力し、有力御家人の本貫地として発展した。鎌倉時代足利尊氏は後醍醐天皇の討幕運動に参加し、室町時代には足利将軍家となった。足利義康の時代から絹の産地として有り、近世近代において織物業が発達した。足利学校は学生数約3000人と記録されるほど盛況を迎え、室町時代には関東の文化の中心地として栄えた。
1947年(昭和22年)9月16日、カスリーン台風による豪雨で渡良瀬川が氾濫。市内一万戸の内九千戸が水没したほか、後に編入する周辺市町村(後述)も多くの浸水被害を出した。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により足利郡足利町が成立する。
1914年(大正3年)1月14日 - 市章を制定する。
1921年(大正10年)1月1日 - 足利町が県内二番目の市制施行を果たし足利市となる。
1935年(昭和10年)11月16日 - 初代足利市歌・市旗を制定する。
1947年(昭和22年)9月5日 - 昭和天皇の戦後巡幸。足利織物工業協同組合を視察、柳原小学校校庭にて万歳による奉迎が行われた。
1951年(昭和26年)3月30日 - 毛野村を編入する。
1953年(昭和28年)4月1日 - 山辺町を編入する。
1954年(昭和29年)
8月1日 - 三重村・山前村を編入する。
11月1日 - 北郷村・名草村を編入する。
1959年(昭和34年)4月1日 - 富田村を編入する。
1960年(昭和35年)7月1日 - 群馬県山田郡矢場川村の北東部を編入する。(南西部は太田市に編入する。)
1962年(昭和37年)10月1日 - 御厨町・坂西町を編入。これにより足利郡が消滅。現在の市域が完成する。
2011年(平成23年)4月1日 - 2代目にあたる市歌「われらのまちに」を制定。