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桑名市: 歴史

桑名市: 歴史

律令制による国郡の制定時には桑名の大部分は伊勢国桑名郡(くわなのこおり)に、七和地区、久米地区は員弁郡に属していた。
平安時代より、主に京都及び畿内で生産されていた物資を尾張以東の東海道諸国へ送り出すための中継拠点として、また東海道諸国で生産された物資を集めて近江や伊賀を経由して京都及び畿内へ送り出す中継拠点として繁栄した。
多度町の愛宕中世墓群から古瀬戸や常滑焼の骨壺が発掘されており、平安時代の後期から鎌倉、室町、桃山期にかけて尾張から輸入されたことが明らかになっている。
桑名は本州の太平洋側における上方文化圏(京都文化圏)の東端の地であり、尾張以東の東日本文化圏との接点の地でもあった。
室町時代には商人たちによる自由都市が形成され、堺、博多、大湊と並ぶ日本屈指の港湾都市となり、商業、海運の中心地として栄え「十楽の津」と呼ばれた。
桑名から京都・近江へ向かう際に横断する鈴鹿山脈の峠は、主なものとして、北から鞍掛峠・治田峠・石榑峠・八風峠・根ノ平峠・安楽峠などがある。中でも菰野町千種から根ノ平峠を越えて、現在の滋賀県東近江市永源寺町甲津畑まで至る千種街道「千種越え」と菰野町田光から八風峠を越えて、永源寺町杠葉尾までの八風街道「八風越え」とが多く利用された。
「八風越え」は桑名と近江の八日市・近江八幡を結ぶ重要な通商路であったが、近江の得珍保の保内商人(四本商人)(近江蒲生郡得珍保内の今堀・蛇溝・中野・今在家などの諸郷の商人で、鈴鹿山脈を越える山越商人)が商業を独占していた。永禄2・3年(1559年・1560年)の「保内商人申状案」によると、保内商人(四本商人)が八風・千種越えで、千種氏から両峠の流通独占権を認められ、その見返りとして役銭を支払っていた記録がある。
保内商人(四本商人)は桑名で東海地方の産物を仕入れ近江や京都で販売した。また近江からは、京都や周辺で生産された物資の他、木地師の盆、椀、曲物、木炭、麻などの山のものが桑名へ運ばれ伊勢湾を経て尾張以東の東海道諸国へ送られて販売された。
戦国時代には長島の願証寺を中心として一向宗の一大拠点が形成され、一向宗門徒らによる自治が行われていたが、やがて尾張の織田信長と対立し戦乱が起きるようになった。
1570年(元亀元年)から1574年(天正2年)にかけて長島一向一揆が起きたが、信長の軍勢により鎮圧されて自治領は崩壊した。
1571年(元亀2年)5月 - 長島一向一揆の際、織田信長の命を受けた大垣城主氏家卜全により、多度大社の本宮並びに摂末社、神宝、古記録、多度大社の神宮寺であった宝雲寺(真言宗)の七十余りに及ぶである堂、塔、伽藍が全て焼きつくされ焼失した。
1580年(天正8年) - 織田信長の家臣滝川一益が尾張から北伊勢に侵攻した際に、四十三の子院を持ち、約千人の僧兵が居たという聖衆寺や飛鳥寺等の多くの寺院が焼き尽くされて消失した。
江戸時代には桑名藩11万石の城下町、および東海道五十三次で知られる東海道42番目の宿駅・桑名宿として栄えた。宮宿(名古屋市熱田区)との間の七里の渡しが有名である。幕末には、佐幕派の中核をなす、いわゆる一会桑政権(一橋慶喜、会津藩、桑名藩)の拠点の一つとなった。
1753年(宝暦3年)‐木曽三川の治水工事のため江戸幕府は外様の薩摩藩に対し御手伝普請を命じ、翌年2月に工事が始まった。いわゆる宝暦治水である。工事は1755年(宝暦5年)に終わったが、総奉行の平田靱負は多くの犠牲者を出したことや多大な予算の超過の責任をとり切腹した。
桑名は木曽三川の河口に位置しているため、日本屈指の穀倉地帯であった伊勢平野と濃尾平野からの米の集積地となり、江戸時代の天明4年(1784年)から米相場の商いが始まり、米の町としても繁栄した。また1894年(明治27年)12月29日に桑名米穀取引所が開設され、1931年(昭和6年)12月に同所が閉鎖となるまで、37年間にわたり米相場の取引が行われた。当時は取引所を中心に40数軒の仲買店が軒を並べ、相場通信連絡には手旗信号を利用し、多度山を中継所として名古屋に値動きを伝えた。当時国内の主な米穀取引所としては他に、大阪堂島、東京蛎殻町、下関赤間関の3ヶ所が存在したが、桑名は全国で唯一、夕方にも相場を開き「桑名の夕市」と呼ばれ,全国にさきがけて相場を決めるため,桑名の相場が全国の米相場を決める」と言われた。
明治時代になると廃藩置県によって桑名藩は桑名県、長島藩は長島県となった。その後、近隣の県との合併によって安濃津県(後の三重県)ができ、その一部となった。

1888年(明治21年) - 四日市市に関西鉄道が設立。木曽三川の橋の建設が開始。
1894年(明治27年)7月5日 - 関西鉄道の四日市⇔桑名仮停車場間が開通。東海道本線の草津駅までが繋がる。
1895年(明治28年)5月24日 - 関西鉄道の桑名仮停車場⇔桑名間が延伸。名古屋⇔前ヶ須(弥富)間が開通。
1895年(明治28年)11月7日 - 関西鉄道の桑名⇔前ケ須(弥富)間が開通。初めて愛知県へ陸上移動することが可能となった。
1929年(昭和4年)1月30日 - 伊勢電気鉄道(現在の近畿日本鉄道)により四日市⇔桑名間が開通。
1933年(昭和8年)11月8日 - 現在の桑名市長島町⇔愛知県弥富市との間の木曽川に尾張大橋が開通し、供用を開始。
1934年(昭和9年) - 現在の桑名市長島町⇔桑名市中心部との間の長良川と揖斐川に伊勢大橋が開通し供用を開始。これにより徒歩や自動車によって愛知県へ陸上移動することが可能となった。
1938年(昭和13年)6月26日 - 関西急行電鉄(現在の近鉄)により桑名⇔名古屋間が開通。
1945年(昭和20年)1月31日、3月11日、5月17日、7月17日、7月24日 - 桑名空襲があり、アメリカ軍のB-29による爆撃を受け、市街地の約90%を焼失。
1959年(昭和34年)9月26日 - 伊勢湾台風により、多くの人命や家屋が失われ甚大な被害が発生。長島町はほぼ全町が水没し多くの犠牲者を出す。
1963年(昭和38年) - 長島町で大谷天然瓦斯が天然ガスの探査中に温泉が湧出したため、長島温泉が出来ることとなった。
2011年(平成23年) - 同市発注の公共工事をめぐり、同市職員数人が競売入札妨害罪で逮捕。また、これを契機に、水谷市長に対するリコール請求が始まり、同年12月には市長の月給を半減させる条例案が可決。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、桑名郡桑名城下(桑名三之丸・桑名吉之丸・桑名内堀・桑名元赤須賀・桑名伊賀町・桑名外堀・桑名八幡町・桑名柳原・桑名新屋敷・桑名一色町・桑名矢田川原・桑名新地・桑名船馬町・桑名本町・桑名舟町・桑名小網町・桑名宝殿町・桑名清水町・桑名宮町・桑名風呂町・桑名川口町・桑名江戸町・桑名片町・桑名京町・桑名宮通・桑名職人町・桑名油町・桑名田町・桑名北魚町・桑名三崎通・桑名南魚町・桑名殿町・桑名吉津屋町・桑名鍛冶町・桑名紺屋町・桑名入江町・桑名葭町・桑名新町・桑名萱町・桑名伝馬町・桑名鍋屋町・桑名矢田町・桑名福江町・桑名太一丸・桑名今一色大北町・桑名今一色北町・桑名今一色中町・桑名今一色片町・桑名今一色寺町・桑名堤原・桑名住吉町・桑名相生町)および江場村・大福村・本願寺村・矢田村・桑名村の各一部の区域をもって桑名町が発足。
1923年(大正12年)4月1日 - 桑名郡赤須賀村を編入。
1933年(昭和8年)3月20日 - 桑名郡益生村を編入。
1937年(昭和12年)
3月20日 - 桑名郡西桑名町を編入。
4月1日 - 市制施行して桑名市となる。
1951年(昭和26年)3月2日 - 桑名郡桑部村・在良村・員弁郡七和村を編入。
1955年(昭和30年)2月1日 - 桑名郡深谷村および員弁郡久米村の一部(大字坂井・赤尾・友村・島田・志知)を編入。
1956年(昭和31年)9月1日 - 桑名郡城南村を編入。
2004年(平成16年)12月6日 - 桑名郡多度町・長島町と合併し、改めて桑名市が発足。

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Quelle: Text: Wikipedia – „桑名市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: 円周率3パーセント, CC BY-SA 4.0 – Wikimedia Commons