焼津市: 歴史
=== 古代 ===
5世紀頃:焼津神社(入江大明神)は反正天皇の時代に創立されたと伝えられる。
古墳時代終末~飛鳥時代:高草山一帯に笛吹段・兎沢・筧沢・奥屋敷古墳群など多数の古墳群が造られる。
729年 - 749年(天平年間):行基が法華寺(天台宗)を建立したと伝えられる。
815年(弘仁6年):空海(弘法大師)が香集院(俗に虚空蔵山。真言宗、後に曹洞宗)を建立したと伝えられる。
1487年(長享元年):今川氏親の後見・伊勢盛時が石脇城で挙兵し、今川家の家督争いを制する。
1594年(文禄3年):この頃の和田湊は、大井川奥地の木材を江戸へ回送する集散港であった。
江戸時代には田中藩の治下に置かれる。
1614年(慶長19年):焼津産の生鰹と甘鯛を、駿府城に隠居していた徳川家康に献じる。
1642年(寛永19年):田中藩が浜奉行を設け、海岸の防衛や漁村の貢税の取り立てを行う。
1705年(宝永2年):古文書によれば、鰹節の製造が既に行われていた。
1753年(宝暦3年):永豊寺住職(小川)が、宇治より緑茶の種子を持ち帰り、村民に緑茶の栽培を教える。
明治
1871年(明治4年)8月29日:廃藩置県で静岡県に属する。
1884年(明治17年)7月:戸長を官選に改め、戸長役場を置く。
1889年(明治22年)10月1日:村制施行により益津郡焼津村が発足。
1896年(明治29年)4月1日:益津郡・志太郡の区域に改めて志太郡が設置され、同郡の所属となる。
1897年(明治30年)8月4日:小泉八雲が初めて焼津を訪れる。
1901年(明治34年)
6月28日:町制施行(戸数 1,780戸、人口 10,472人)。焼津町となる。
鰹節の焼津節が土佐節を抜き、東京鰹節相場の首位を確保する。
1903年(明治36年):焼津漁業組合を設立。
1907年(明治40年):焼津漁船の、氷で冷やす鮮魚の運搬方法が一気に普及する。
1908年(明治41年):鉄道輸送に冷蔵貨車が登場。焼津港の鮮魚の高速輸送が本格化する
1909年(明治42年):このころから焼津漁船の動力化がすすむ。
1912年(明治45年):2月に町内で電気が開通。電灯が灯るようになる。
大正
1918年(大正7年):米騒動が町内にも波及。群衆が家屋の放火、破壊を行う。
1924年(大正13年):焼津港初の鋼船が進水。
1925年(大正14年):焼津漁業組合に民間初の漁業無線局が認可される。
昭和(戦前)
1926年(昭和元年):焼津港のカツオ船が急増したため、定数を決め、以後5年間は増加を中止する措置をとる。
1930年(昭和5年)5月30日: 昭和天皇が静岡県内を行幸。焼津町内は鰯ケ島海岸や鰹節製造工場を視察。
1937年(昭和12年)7月:焼津船籍の漁船の徴用が始まる。
1941年(昭和16年)8月:漁船の徴用で焼津港の遠洋漁船のほとんどが消滅。焼津港の徴用船はわかっているだけでも 113隻。うち、1940年以後の徴用船で無事帰還できたのは 10隻あまり。乗組員 401人の戦死が確認されている。
昭和(戦後)
1946年(昭和21年)6月18日:昭和天皇の戦後巡幸。焼津魚市場、焼津造船所を視察。
1951年(昭和26年)
3月1日:市制施行(戸数 5,604戸、人口 31,016人)。焼津市となる。
6月4日:焼津漁港(内港、第一船停泊地約5万m2)完成。
1953年(昭和28年)11月1日:志太郡豊田村を合併。
1954年(昭和29年)3月1日:焼津港を出港した第五福竜丸が、ビキニ岩礁近海で水爆実験に遭い、被曝する。
1954年(昭和29年)3月31日:志太郡藤枝町大覚寺上・大覚寺下地区を合併。(藤枝町の残部は藤枝市の一部となる)
1955年(昭和30年)1月1日:志太郡東益津村、小川町、大富村、和田村を合併。
1956年(昭和31年)
3月:原水爆実験禁止を焼津市議会で議決。
焼津漁港が水揚高68億円に達し、漁港日本一となる。
1957年(昭和32年)4月1日:志太郡広幡村越後島地区を合併。(広幡村の残部は藤枝市へ編入)
1958年(昭和33年):市域の急速な拡大と、それに伴う旧町域への設備投資が嵩み、市財政の累積赤字が4億円を超える。
1958年(昭和33年):赤痢の集団発生。住民821人が感染。原因は上水道の汚染。
1959年(昭和34年):昭和通り改装オープン。財政再建促進特別措置法の準用団体に転落。
1961年(昭和36年):平和都市宣言。
1965年(昭和40年)10月:マリアナ群島アグリハン島沖合において焼津港所属船2隻遭難、乗組員72名が殉職。(マリアナ海域漁船集団遭難事件)
1966年(昭和41年)
3月:昭和40年度末にて財政再建計画書による財政再建を2カ年前倒しで達成、財政再建団体から脱出。
10月:交通安全都市、衛生都市を宣言する。
1968年(昭和43年)3月:焼津漁港の第二・第三船停泊地完成。
1969年(昭和44年):焼津新港(第四計画)起工。
1970年(昭和45年)8月:焼津漁協、超低温冷蔵庫(-45℃、収容能力2,000t)が完成する。
1977年(昭和52年)
2月:ホバート市と姉妹都市提携。
5月:10万都市となる(県下7番目)。
5月2日:日本が200カイリ漁業水域を設定。焼津船籍の漁業水域も大幅に制限される。
1979年(昭和54年)7月:東名日本坂トンネル大火災事故。
1980年(昭和55年)4月:障害者福祉都市の指定を受ける。
1983年(昭和58年):第3セクター「株式会社焼津水産振興センター」設立。
1985年(昭和60年)
6月:「核兵器廃絶を願う焼津宣言」を市議会で議決。
10月:焼津さかなセンター、オープン(株式会社焼津水産振興センター発足、現在は協同組合)。
平成
1989年(平成元年)4月:小川港港市場荷捌場完成。
1995年(平成7年)10月:臨時市議会で「平和都市焼津宣言」を議決。
1998年(平成10年)10月:FAO(国連食糧農業機関)において漁獲能力削減が採択され、焼津のマグロ延縄漁船も7隻が減船された。
2000年(平成12年)12月:地域イントラネット稼働。
2001年(平成13年):広域漁港、新焼津港完成。
2001年(平成13年)9月:駿河湾深層水の取水供給施設が完成。
2003年(平成15年)5月:駿河湾深層水脱塩施設が完成、供用開始。
2004年(平成16年)4月17日:深層水ミュージアム開館。
2008年(平成20年)11月1日:志太郡大井川町を編入。
2014年(平成26年)9月18日:焼津市花沢地区が重要伝統的建造物群保存地区として選定される(花沢の里)。
令和
2021年(令和3年)9月21日:それまでの市庁舎の西側に新しい市庁舎が開庁。
2021年(令和3年)10月11日:焼津漁港カツオ窃盗事件発覚。
2024年(令和6年)8月8日 - 南海トラフ地震に関連する情報が発出。同年8月14日開催予定焼津海上花火大会が延期、同年8月15日開催予定の戦没者追悼式・平和祈念式典が中止された。 …