Heimatgeschichte · Osaki ·

大崎市: 歴史

大崎市: 歴史

奈良時代、古川地域に朝廷の役所がつくられた(名生館官衙遺跡)。この頃の古川は多賀城と共に、蝦夷に対する朝廷側の拠点となっていた。
室町時代、奥州探題の大崎氏が現在の大崎市古川地区の名生城を居城とした。大崎氏は室町幕府の管領家(三管領)の筆頭である斯波氏の親戚に当たる。戦国時代、大崎氏は隣国の葛西氏と抗争を繰り広げた。戦国時代末期、南から伊達政宗が大崎領に侵攻して大崎合戦が起こったが、大崎義隆は伊達軍を撃破した。しかし、その後も政宗は大崎氏を圧迫し、大崎氏の軍事指揮権は伊達氏が掌握し、徴税権は大崎氏が保持した。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉は小田原征伐で後北条氏を降した後に奥州仕置を行い、小田原に参陣しなかったことを理由に、大崎氏や葛西氏等を取り潰した。常陸国の佐竹義重や会津地方の蘆名氏に勝利して領土を拡大していた伊達政宗も征服地のほとんどを没収された。
大崎氏や葛西氏の旧領には、秀吉の家臣の木村吉清が入封したが、政宗は大崎氏と葛西氏の旧臣を扇動して葛西・大崎一揆を起こさせた。しかし、政宗の一揆扇動は蒲生氏郷に露見し、政宗は秀吉から葛西・大崎一揆の鎮圧を命じられた。政宗は佐沼城から吉清を救出して、一揆を鎮圧した。
戦後、政宗は伊達氏の本拠だった置賜地方や信達地方を秀吉に没収され、その代わりに大崎氏と葛西氏の旧領を与えられて、玉造郡の岩出山城を居城とした。
慶長5年12月24日(1601年1月28日)より、政宗は新たな居城として仙台城を築き、仙台藩62万石が成立した。こうして、大崎市一帯は仙台藩の一部となった。

旧自治体の歴史は各自治体のページを参照。

2003年(平成15年)7月1日 - 大崎地方合併協議会が設立。
同年7月7日に第1回協議会が開催されたのを皮切りに、2006年3月11日まで計43回の合併協議会が開催された。事務局は古川市旭(現・大崎市古川旭)の宮城県古川合同庁舎(2006年4月1日、宮城県大崎合同庁舎に改称)内に置かれた。
2005年(平成17年)
1月13日 - 合併協定書の調印式を三本木町にあるふれあいホールにおいて実施。
1月21日 - 廃置分合申請書を県知事に提出。
4月15日 - 同日付の官報に大崎市を設置する廃置分合が告示される。
2006年(平成18年)3月31日 - 古川市および遠田郡田尻町、志田郡三本木町・松山町・鹿島台町、玉造郡岩出山町・鳴子町が新設合併し大崎市が発足(これにより、志田郡及び玉造郡が消滅。)。同時に市章を制定する。
市名の由来である「大崎」とは大崎市・加美郡・遠田郡一帯の広域地名で、中世に関東よりこの一帯に移住した豪族・大崎氏に由来する。大崎氏は室町時代に奥州探題に任ぜられ権勢を誇ったが豊臣秀吉の奥州仕置(1590年頃)により滅亡し、その後大崎地方は伊達氏の所領となった。なお、市の名称は公募が行われ、最終候補には「大崎市」のほか、「おおさき市」「古川市」「北宮城市」「ふるかわ市」「宮城市」が選定され、最終的に合併協議会の小委員会委員の投票により、「大崎市」の名称が決定した。
2012年(平成24年)
2月4日 - 平成23年度地域づくり総務大臣表彰で「地方自治体表彰」を受賞。
10月31日 - 第17回宮城県シニアスポーツ大会が、大崎市スポーツピアまつやまを会場に開催された。
2013年(平成25年)3月23日 - 国道346号鹿島台バイパス開通。
2017年(平成29年)12月 - 大崎市を中心とする「大崎耕土」(仙台平野の一部)が、国連食糧農業機関が認定する世界農業遺産に、東北地方として初めて認定される。
2019年(令和元年)10月13日 - 令和元年東日本台風(台風19号)の豪雨により吉田川左岸の堤防から越水。旧鹿島台町付近一帯が冠水した。
2023年(令和5年)5月8日 - 旧本庁舎の北側に建てられた新本庁舎での業務を開始。

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Quelle: Text: Wikipedia – „大崎市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Mutimaro, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons