飯塚市: 歴史
=== 古代 ===
遠賀川水系の肥沃な沖積平野で弥生時代より稲作が行われ、各地に古墳が点在する。立岩式石包丁の製作工場跡や人骨を収めた甕棺が話題を呼んだ甕棺墓群等で有名な立岩遺跡がある。日本国内での鋳銅技術発祥の地としても知られている。
現在の市域に長崎街道が整備された。現在の市中心部に飯塚宿が、市南部(旧・筑穂町町域)に内野宿が整備され、それぞれ宿場町として栄えた(筑前国内区間には全部で6箇所の宿場町があり、「筑前六宿」と呼ばれた)。この頃から、農業中心から商業中心になってきた。
近代に入り、石炭がエネルギー資源としての利用価値を帯びるようになると、石炭発掘が盛んになり、周辺一帯は筑豊炭田と呼ばれ発展し、国の基幹産業となった。飯塚市は筑豊地域の中心部となり、全国各地や外地から多くの炭坑労働者が移住し、人口が急増した。
1936年(昭和11年)4月15日、市内の忠隈炭鉱で機械破損により人員輸送車が暴走。死者50人以上を出す事故となった。同年5月2日、昭和天皇・香淳皇后より救恤金が福岡県に下賜された。
しかし、戦中戦後の乱掘と昭和30年代のエネルギー革命によって石炭産業は衰退し、炭鉱の閉山による急激な過疎化が進んだ。近畿大学や九州工業大学が飯塚にキャンパスや附属高等学校や附属幼稚園を設置して以来、飯塚は学生を中心に人口が増加し、過疎化は止まった。しかし2000年代に入り、人口は再び減少に転じている。
現在は情報産業都市を目指している。
2003年4月1日 - 飯塚アジアIT特区を設ける。
2003年7月19日 - 平成15年7月豪雨により、洪水などの甚大な被害を受けた。
2007年2月4日 - 住民投票により市議会リコール成立。
2007年2月22日 - 飯塚オートレース場開設50周年。
2007年3月11日 - 市議会議員選挙の投開票。合併時の在任特例適用で最大時87人いた議員数が34人になる。
2008年4月14日 - 名古屋市中区に飯塚市名古屋事務所開設。(2011年3月閉鎖)
2017年5月8日 - 市役所新庁舎開庁
飯塚市は、下記のように新設合併によって3度設置されている。初代は1932年に飯塚町が市制施行して飯塚市になっており、その後は1963年と2006年に新設合併している。
1889年4月1日 - 町村制施行により、現在の市域にあたる以下の町村が発足。
穂波郡
飯塚町 ← 飯塚村、徳前村、菰田村
大谷村 ← 幸袋村、庄司村、中村、吉北村、目尾村、柳橋村、津島村
二瀬村 ← 川津村、横田村、伊岐須村、相田村、伊川村、片島村
鎮西村 ← 大日寺村、花瀬村、潤野村、明星寺村、八木山村、蓮台寺村、建花寺村
上穂波村 ← 阿恵村、山口村、馬敷村、元吉村、長尾村、北古賀村、平塚村
内野村 ← 内野村、弥山村
大分村 ← 大分村、内住村、高田村、舎利蔵村、津原村、久保白村
穂波村 ← 堀池村、忠隈村、南尾村、太郎丸村、椋本村、安恒村、椿村、弁分村、小正村、若菜村、枝国村、秋松村、楽市村、平恒村
嘉麻郡
笠松村 ← 上三緒村、下三緒村、立岩村、川島村、鯰田村
庄内村 ← 綱分村、赤坂村、筒野村、高倉村、入水村、山倉村、有安村、多田村、仁保村、大門村、元吉村、有井村
頴田村 ← 勢田村、口原村、佐与村、鹿毛馬村
1896年4月1日 - 郡の統合により、上記町村がすべて嘉穂郡に属する。
1909年6月1日 - 飯塚町と笠松村が対等合併。新町制による飯塚町となる。
1918年1月1日 - 大谷村が町制施行・改称。幸袋町となる。
1932年1月20日 - 飯塚町が市制施行。飯塚市となる。
1932年9月1日 - 二瀬村が町制施行。二瀬町となる。
1955年3月31日
大分村の一部(大分、内住)および上穂波村・内野村が合併、筑穂町となる。
大分村の残部(高田、舎利蔵、津原、久保白)は穂波村に編入。
1957年11月3日 - 穂波村が町制施行。穂波町となる。
1958年11月1日 - 庄内村が町制施行。庄内町となる。
1959年1月1日 - 頴田村が町制施行。頴田町となる。
1963年4月1日 - 幸袋町・二瀬町・鎮西村と合併、飯塚市(2代目)を設置。
2006年3月26日 - 頴田町・庄内町・穂波町・筑穂町と合併し、飯塚市(3代目)となった。
なお、旧穂波町とは、8回にも及ぶ合併案が出たが、すべて破談となっている。平成期の合併案はじつに9回目であり、ついに実現に至った。(参考・・・昭和に学ぶ 合併ものがたり<1>飯塚・穂波 7回の破談を重ねて)
合併して福岡県下4番目の都市になったが、一部地域では、2021年11月まで電話が市内通話対応されていなかった(後述)。
飯塚町発足時 - 人口2,935人、面積2.33km2、人口密度1259.7人/km2
1909年6月1日(飯塚町・笠松村合併時) - 人口11,346人、面積13.38km2、人口密度:848人/km2
1932年1月20日(市制施行時) - 人口40,567人、面積:13.38km2、人口密度:3,031.9人/km2
1955年国勢調査(筑豊炭田の最盛期) - 人口61,650人、面積17km2、人口密度3,626.5人/km2
1963年4月1日(飯塚市・二瀬町・幸袋町・鎮西村の対等合併直後) - 人口95,000人、面積71.80km2、人口密度1,313.2人/km2
2006年3月25日(飯塚市・穂波町・筑穂町・庄内町・頴田町の合併前) - 人口80,905人(男性38,516人・女性42,389人)、面積71.80km2、人口密度1,123.7人/km2、世帯数32,956世帯、一世帯数あたりの人口2.5人/世帯
=== 主な事件・事故・社会問題など ===
※近代以降、現飯塚市域内
現市域内に多数の炭鉱があった頃には炭鉱での事故が多く発生している。
1976年6月13日 - 福岡内妻一家4人殺害事件
1992年2月20日 - 飯塚事件。潤野地区に住む小学1年生の女児2人が誘拐され殺害される。被疑者が逮捕されたが無罪を主張し続け、死刑が執行されたあとも妻により再審請求が出されており冤罪事件の可能性が指摘された状態にある。
1995年7月17日 - 近畿大学附属女子高校体罰死事件
2004年12月12日 - 福岡3女性連続強盗殺人事件(第一の事件)
2010年代以降、複数の事業者が白旗山などの約50haに及ぶ山林を開発してソーラーパネルを設置し太陽光発電所を開設したことにより、地域住民からは不安の声が上がった。