伊勢市: 歴史
伊勢神宮の鳥居前町として古代から発展し、江戸時代には江戸幕府が伊勢神宮の管理を目的とする山田奉行所を設置した。山田奉行所は大岡越前として知られる大岡忠相が奉行を務めたことがあり、このころ紀州藩にいた徳川吉宗により、のちに抜擢されることになった。
明治から昭和にかけて参宮鉄道線(現在のJR東海参宮線)・参宮急行電鉄本線(現在の近鉄山田線)・伊勢電気鉄道本線(後の参宮急行電鉄伊勢線。1942年廃止)など鉄道が次々と開通したことにより参詣客が増加した。
国家神道の下で、第二次大戦までは「神都」として国威発揚の場ともなった。伊勢神宮は、江戸時代から「お伊勢さん」として民衆に親しまれ、明治初年には、市内の寺院の数は300以上から15にまで減らされ、1871年には御師が廃止、神域にあった民家も撤去されるなど、古制に帰り、天皇・皇室・国家のための神社としてなお崇敬された。「皇紀2600年」にあたる1940年(昭和15年)には、約800万人が参宮のために当地を訪れた(当時の市の名称は宇治山田市)。大戦末期には、6回の大規模な空襲を繰り返し受けた(宇治山田空襲)。
1946年(昭和21年)11月20日には伊勢志摩国立公園に指定された。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、度会郡宇治町(宇治館町・宇治今在家町・宇治中ノ切町・宇治浦田町・宇治桜木町・宇治中ノ町・宇治古市町・宇治久世戸町)・山田町(山田倭町・山田尾上町・山田岡本町・山田岩淵町・山田吹上町・山田河崎町・山田船江町・山田一ノ木町・山田豊川町・山田田中中世古町・山田宮後町・山田一志久保町・山田大世古町・山田曽祢町・山田八日市場町・山田下中ノ郷町・山田常磐町・山田浦口町・山田二俣町・山田辻久留町・山田中島町・山田宮川町)の区域をもって宇治山田町が発足。
1906年(明治39年)9月1日 - 宇治山田町が市制施行して宇治山田市となる。
1941年(昭和16年)5月5日 - 宇治山田市が度会郡神社町を編入。
1943年(昭和18年)12月1日 - 宇治山田市が度会郡大湊町・宮本村・浜郷村を編入。
1955年(昭和30年)1月1日 - 宇治山田市が度会郡豊浜村・北浜村・城田村・四郷村を編入。宇治山田市の名称を伊勢市に変更する。
1955年(昭和30年)4月1日 - 度会郡沼木村を編入。
1957年(昭和32年)4月1日 - 度会郡玉城町の一部(大字粟野)を編入。
2001年(平成13年)11月1日 - 柏町の一部を多気郡明和町に編入。明和町の一部(大字上野・明星・平尾の各一部)を編入。
2005年(平成17年)11月1日 - 度会郡二見町・小俣町・御薗村と合併し、改めて伊勢市が発足。
2006年(平成18年)4月1日 - 度会郡玉城町の一部(大字長更の一部)を編入。
1974年(昭和49年)1月14日 - 船江2丁目で火災が発生。付近に延焼し36棟が焼失、1人死亡。
1974年(昭和49年)7月7日 - 梅雨前線による集中豪雨。市内で1000戸以上が床上浸水、交通機関が停止したため、同日行われていた第10回参議院議員通常選挙に混乱も生じた。
1975年(昭和50年)9月15日 - 伊勢神宮内宮境内の風日祈宮に過激派が放火。
1983年(昭和58年)1月6日 - 右翼活動家が伊勢市役所に火炎瓶を投げ込む。
1998年(平成10年)11月24日 - 市内の出版社「伊勢文化舎」の24歳の女性記者が失踪。現在に至るまで未発見となっている。
2020年(令和2年)3月3日 - 市内の小中学校で新型コロナウイルス感染症拡大に伴う一斉休校が始まる。この年、多くの祭事やイベントが自粛された。
2026年(令和8年)8月31日 - 明倫商店街で火災が発生。住宅5棟、店舗や倉庫などの非住家53棟が焼失。