延岡市: 歴史
平安時代から、臼杵郡英多(あがた)郷の行政区分。以後、室町期までには、縣(あがた)の記述が定着。
中世をつうじて縣土持氏が支配したが、1578年(天正6年)4月10日、豊後の大友宗麟によって、土持親成が松尾城に攻め滅ぼされ、700年の名門縣土持氏の命脈を絶たれた。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州征伐により高橋元種が日向縣藩(のちに延岡藩)に5万3千石を宛行われて入封。慶長6年(1601年) - 慶長8年(1603年)秋にかけて縣城(延岡城)を築城して以降、近世城下町としての町割りが整う。
この縣地域の呼称としての延岡地名の使用は、近世縣城(現在の城山)の修築完成を記念して、有馬康純が明暦2年(1656年)に今山八幡宮に寄進した梵鐘(若山牧水に詠われた「城山の鐘」)の銘文「…明暦二年丙申六月吉日…日州延岡城主有馬左衛門佐…藤原朝臣康純」を初見としており、さらには、江戸幕府の公文書で正式に延岡藩としての記述が見られるのは、有馬氏の次、三浦明敬支配の元禄期以降のことである。
明治期になり、宮崎県設置により県庁が宮崎市におかれたことから、延岡は県庁から最も離れた旧城下町となった。これを近代化の遅れの予兆として受け止めた危機感覚が、後の工業都市としての発展の一因となる。旧延岡藩主であった内藤氏は数々の特権を公共化させ、銅山や電源開発に関わることで近代延岡の礎を築いた。また、小林乾一郎など旧藩士の働きも、延岡の近代化に大きく寄与した。
1918年(大正7年)8月、国内各地で米騒動が起こる中、延岡でも今岡公園に150人が集結。群衆が町内の米穀店へ移動し襲撃を行った。
1923年(大正12年)に野口遵が日本窒素肥料(現チッソ)の工場を建設したのを機に、延岡は県内屈指の工業都市として発展する。昭和8年(1933年)にかけての延岡町・恒富村・岡富村の合併・市制施行は延岡進出の条件であり、日豊本線も進出に伴って開通した。1930年代末までに日窒系の工場が次々と建設され、1922年(大正11年)に2万3千人ほどであった人口は、1939年(昭和14年)には9万1千人を数え、宮崎県内最多の人口を有する都市となり、1935年(昭和10年)9月に制定された初代「延岡市歌」でもその威容が謳われている。
第二次世界大戦後の財閥解体により日窒コンツェルンは解体され、延岡にある工場は旭化成として再出発した。1949年(昭和24年)に昭和天皇の戦後巡幸が行われた際には、天皇の延岡工場視察も行われた。1951年(昭和26年)頃は人口の約半数・市税納入額の3分の2・市議会議員の3分の1が旭化成関係であり、文字通り「企業城下町」として栄えた。しかし、旭化成の経営戦略により延岡の比重は次第に小さくなったことや、大消費地から遠いこと、更には化学工業が石油中心となったことから以前ほどの経済力はなくなり、人口も1982年を境に減少している。
1973年(昭和48年)5月12日、昭和天皇、香淳皇后が第24回全国植樹祭出席のために来県した際に市内を行幸。延岡総合高等職業訓練校を視察した。
近年は東九州自動車道が延伸し、近隣の日向市や佐伯市を始め、宮崎市や大分市・北九州市等といった東九州の主要都市と接続されたことで、各都市との連携を深める動きが強まっている。また、陸上交通の利便性が向上したことから、クレアパーク延岡やリサーチパーク向陽台といった各工業団地への企業立地が進んでいる。
1889年5月1日 - 町村制施行に伴い、東臼杵郡延岡町が発足。
1930年4月1日 - 東臼杵郡延岡町・恒富村・岡富村が合併し、新たに延岡町となる。
1933年2月11日 - 市制施行し、延岡市となる。
1936年10月25日 - 東臼杵郡伊形村・東海村を編入。
1955年4月1日 - 東臼杵郡南方村・南浦村を編入。
2006年2月20日 - 東臼杵郡北浦町・北方町を編入。
2007年3月31日 - 東臼杵郡北川町を編入。
平成の大合併の時に編入された3町の住所表記の変更には差異がある。
北浦町・北川町の場合、旧町名併記のうえ、「大字○○」を単に「○○」に変える。
例「東臼杵郡北浦町大字○○ ××番地 → 延岡市北浦町○○ ××番地」
北方町の場合、旧町名併記のうえ、十二支の地番の前に新たに行政区名を付する。「東臼杵郡北方町○ ××番地 → 延岡市北方町△△○ ××番地」
例「東臼杵郡北方町子××番地 → 延岡市北方町曽木子××番地」「東臼杵郡北方町卯××番地 → 延岡市北方町川水流卯××番地」
1918年(大正7年)に全国的に米騒動が発生した際には、延岡でも不穏な空気が流れ、同年8月17日には今山公園に集結した約150人が米穀店を襲撃、米の廉売を強要した。
1935年(昭和10年)8月1日 - 旭ベンベルグレーヨン工場の従業員150人が、女工の解雇に抗議する目的で隊伍を組んで市内をデモ行進。会社正門前で会社側の20人と乱闘状態となり重軽傷者10余人。
1937年(昭和12年)2月19日 - 午後10時延岡市庁舎から発火し、庁舎及び隣接の宮崎県立図書館(当時)を全焼した。
1945年(昭和20年)6月29日 - 延岡大空襲
2006年(平成18年)9月17日 - 台風13号の影響で竜巻が発生。3人が死亡し100人以上が負傷。またこの竜巻により日豊本線南延岡駅付近で特急列車「にちりん9号」が脱線転覆、6人が負傷。
2020年(令和2年) - 新型コロナウイルス感染症が拡大。同年8月、県は市内を「感染状況が厳しい圏域」(レッドゾーン)に指定、外出自粛やイベント等の中止・延期等が呼びかけられた。