Heimatgeschichte · Ikoma ·

生駒市: 歴史

=== 古代 ===

太古の生駒は古代豪族の一つ平群氏の領地で、古代から中世と時を経るごとに平群氏の勢力は衰退し、『平群』という地名だけが残ることとなった。
奈良時代には都であった平城京の外周に位置する生駒(当時の平群)は生駒山のふもとに位置し、往馬坐伊古麻都比古神社(生駒神社)、生駒山口神社式内大社往馬神社社村の氏神様的存在でもあって近代の大和国平群郡南北生駒から奈良県生駒郡生駒町へと地名の変貌を遂げていったものである。
有里町にある竹林寺は奈良時代に行基によって開創されたとされ、詳細は不明だが、行基が建てた四十九院の一つ生馬仙房に比定される。また、行基の遺命で生駒山東陵に埋葬され、竹林寺境内の墓がそれとされる。
古代・中世の生駒は山間の寒村に過ぎなかったが、生駒山地は山岳修行の場として開かれていった(役行者が生駒山で暴れていた2匹の鬼を改心させ弟子にしたという伝説が在る)。一帯は南都と大坂を結ぶ街道として機能し、それらは現在でも清滝街道(現国道163号)、暗越奈良街道(現国道308号)として微かに当時の雰囲気を伝えている。
延喜式神名帳には大和国平群郡に往馬坐伊古麻都比古神社(旧式内官幣大社生駒神社)、生駒山口神社が記載されている。

この頃から高山で茶筌(茶筅)の制作が始まったとされる。その起源は諸説ある。
一つは、室町時代に茶道の創始者村田珠光が親交のあった鷹山宗砌(市北部の鷹山荘〈現在の高山町〉を支配していた鷹山氏の次男とされる)に茶の攪拌道具製作を依頼したことから茶筌が生まれたとする説である。宗砌の製作した茶筌が後土御門天皇に献上されたところ、お褒めの言葉と「高穗」の御銘を賜り、鷹山氏は地名と家名を高山に改めた。その後、高山氏が高山を去る際、この地に残った家臣の内16人に茶筌の製作を許可し、以後旧臣たちは茶筌の製作を一子相伝で引き継いでいったという。
このほか、奈良の宝来で茶筌の作り方を学び高山に戻った甚之丞という人物が豊臣秀吉に茶筌を献上し、それが大いに賞されたため高山全体で茶筌製造が盛んになったという説もある。いずれにしろ、1736年(享保21年)刊行の『大和志』において茶筌は高山村の特産物とされるようになっていた。

江戸時代に入り、1678年(延宝6年)に湛海律師が霊峰・生駒の中腹に宝山寺を開山すると、にわかに商売の神様として大阪庶民の信仰を集め、門前町として賑わった。
京都の皇室や江戸の徳川将軍家、郡山藩主柳沢家からの祈願もあった。

鉄道(大軌)が開通したが、当初、大軌は沿線開発よりも沿線の観光要素(生駒市では東京の浅草とともに著名であった宝山寺など)を活かす方針であったが、宝山寺の門前町を含め、観光業による賑わいが増したことから、行楽地としての開発や、経営の安定化で沿線住宅地開発も始めた。
生駒山上ではブルーノ・タウトが設計した『生駒山嶺小都市計画』に代表される観光地としての開発が進み、別荘地や遊園地が立地し始め、宝山寺参拝と併せてにわかに大阪の行楽地として賑わいをみせる。
一方で鉄道による利便性の向上は宅地の立地にも影響し、1925年(大正14年)に生駒駅前で分譲された三勝園に端を発して、宅地の分譲が始まる。三勝園の他、山楽荘、常磐荘園、東明園、大美ヶ丘、朝日ヶ丘、生駒荘園、青松園、万華荘、緑乃町の開発が計画されたが、計画通り完成した地区は少なく、また現在まで開発当初の地名を残すものは殆ど無い。

大正3年(1914年) - 現在の近鉄奈良線にあたる大阪電気軌道が上本町 - 生駒 - 奈良間を開業し、生駒トンネルにより大阪との距離がかなり短縮された。
大正7年(1918年)- 日本最初のケーブルカー、生駒鋼索鉄道(現・近鉄生駒鋼索線・生駒ケーブル)が敷設され、宝山寺の参拝客も依然として絶えなかった。
大正10年(1921年)北生駒村が生駒町となる。
昭和元年年(1926年)12月28日 -
信貴生駒電鉄 元山上口駅 - 仮新生駒駅間が開業。(一分駅・南生駒駅開業)
昭和2年(1927年)4月1日 信貴生駒電鉄が仮新生駒駅 - 生駒駅 間が開業。仮新生駒駅が廃止。菜畑駅が開業。(現在の近鉄生駒線)
昭和4年(1929年)に生駒山上遊園地が開業した。

戦中から戦後にかけて、大阪からの疎開者が相次ぎ、松ヶ丘や旭ヶ丘の住宅団地が生じ、生駒駅周辺は門前町、遊楽地から商業地域への変容を始める。阪奈道路開通後、近鉄は信貴生駒スカイラインを建設し、生駒山を六甲山、比叡山に並ぶ都市公園とするため生駒山上遊園地の拡充など巨額を投じた。
1941年(昭和16年)に京都大学理学部附属天文台、1949年(昭和24年)から1959年(昭和34年)に各テレビ塔ができ、貸別荘が集積した。
一方、生駒駅北側では生駒台や新生駒台などの高級住宅地が、新設された東生駒駅前や市北部の鹿ノ台や真弓にも学園前駅を起点とした大規模な高級住宅地がそれぞれ造成された。 …

von Fremdinhalte · Regionauts

Quelle: Text: Wikipedia – „生駒市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0