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三田市: 歴史

三田市: 歴史

=== 市名の由来 ===
「金心寺の弥勒菩薩坐像の胎内に記された恩田・悲田・敬田の『三福田』に由来する」という説が旧『三田市史』などに掲載されているが、新版『三田市史』(2012年完結)編纂時の調査時には確認できず、現在は地域の伝承として扱われている。
音読みの「サン」に、訓読みの「だ」が接続するのは異例。なお、「三田村」の表記が確認できる最古の記録は、室町時代後期の寛正7年(1477年)の古文書。

三田盆地は旧石器時代から、人々が暮らした痕跡がある。2万5千年前の遺跡である広野地区の溝口遺跡からはナイフ形石器のほか、縄文時代の石鏃などが出土している。ニュータウン開発で発見されたけやき台の有鼻遺跡や平方遺跡は弥生時代中期の遺跡で、ここからは畿内最古の鉄剣や鉄斧などの鉄器類や竪穴建物跡などが検出されている。古墳時代には武庫川と青野川が合流する流域は須恵器の産地となっていたようで、本庄地区の東仲古墳 、沢山1号墳など石室を持った古墳とともに須恵器の窯跡が検出されており、「末(すえ)」という地名は今も残っている。これは三田市の北西に隣接する丹波篠山市今田地区で生産されている立杭焼(丹波焼)の起源の一つと考えられている。また、青野川とともに青野ダムを形成する黒川沿いの小野地区にある伊勢貝遺跡は、縄文時代から平安時代にかけての集落の遺構が検出される複合遺跡である。

現在の市街地エリアに町が形成されたのは7・8世紀頃からと考えられる。三田地区・三輪地区一帯は7世紀以前から日本最古の神社と言われる大和国一ノ宮である大神神社の荘園となっており、大和国城上郡の松山氏が荘官として管理し通称「松山の庄」と呼ばれていた。また、金心寺が建立されると武庫川より南西部に門前町が形成された。
北東部の三輪地区はその後も大神神社の荘園であったが、14世紀の松山彈正が荘官の時、荘園制度が崩れ武装の必要性が生じ、有馬郡の三輪明神信仰の聖地となっていた丸山に城を築くと同時に三輪神社の社殿を奉納する。これにより三輪地区でも門前町を形成していき、武庫川を挟んで金心寺と三輪神社の門前町が融合する形で有馬郡の中心地へと発展していく。
平安時代から鎌倉時代にかけて市域の各地には多くの荘園が作られ、地頭である豪族が桑原城、貴志城、大原城などの小さな山城を築いて統治していた。

室町時代に播磨国守護だった赤松則村(円心)の四男・赤松氏範が有馬郡を領有し三田城(車瀬城)を築城する。その後も赤松氏を出自とする摂津有馬氏が領有していたが、戦国時代に織田信長の家臣だった荒木村重が摂津国を平定すると丹波国攻略のために三田を城下町として整備する。荒木村重が謀反を起こし織田信長に敗れると(有岡城の戦い)、信長の家臣・山崎片家が近江国から2万3千石で入封したことで三田藩が成立する。江戸時代には志摩国鳥羽藩から九鬼久隆が3万6千石で入封し、廃藩置県までの約240年間、九鬼氏が三田藩を統治した。
なお、北部の高平地区は多田源氏の所領として多田荘に属し、江戸時代は現在の大阪府豊中市に本拠を置いていた麻田藩の青木氏1万2千石の所領で、1896年(明治29年)に有馬郡に移管されるまで川辺郡に属していた。

1871年(明治4年) 廃藩置県により三田県となり後に兵庫県に編入。
1879年(明治12年) 三田町に有馬郡2町12ヶ村の郡役所設置。
1899年(明治32年) 阪鶴鉄道(後の国鉄、現・JR西日本福知山線)開通。三田駅、広野駅、相野駅、藍本駅が開業。
1912年(明治45年)旧制三田中学校(現・三田学園)開校。
1915年(大正4年) 有馬鉄道(後の国鉄有馬線)開通。
1928年(昭和3年) 神戸有馬電気鉄道(現・神戸電鉄)三田線開通。三田駅、横山駅が開業。
1929年(昭和4年) 神戸有馬電気鉄道三田線 三田本町駅が開業。
1943年(昭和18年) 国鉄有馬線休止(そのまま事実上の廃止)。

1956年(昭和31年)12月7日 現在の市章である町章を制定する。
1958年(昭和33年)7月1日 単独市制を実施、三田市が誕生する(兵庫県下21番目の市)。これにより、有馬郡は消滅。
1965年(昭和40年)9月30日 福祉都市宣言を制定する。
1967年(昭和42年) 三田学園高等学校が選抜高等学校野球大会初出場を決める。
1968年(昭和43年) 北摂ニュータウン・青野ダム開発計画発表。
1968年(昭和43年) 市花・市木を制定する。
1968年(昭和43年)6月29日 市旗を制定する。
1973年(昭和48年) 北摂ニュータウン起工。
1974年(昭和49年) 中央公民館落成。
1975年(昭和50年) 市立全校園で完全給食化。
1978年(昭和53年) 第1回・三田まつり開催。
1981年(昭和56年) 北摂ニュータウン(南地区)入居開始。
1982年(昭和57年) 北摂ニュータウン(翌年、北摂三田ニュータウンに改称)街開き。
1985年(昭和60年) マスコットを決める。
1986年(昭和61年) 国鉄(現・JR西日本)福知山線全線電化。宝塚〜新三田間複線化。新三田駅が開業。 兵庫県立北摂三田高等学校開校式(ニュータウン初の県立高校)。
1987年(昭和62年) 北摂三田テクノパーク操業開始。
1988年(昭和63年) 近畿自動車道舞鶴線(現・舞鶴若狭自動車道)三田西IC、中国自動車道 神戸三田ICが開通。高速バス(福知山高速線)運転開始。
1989年(平成元年) 福知山線に快速電車が設定。
1990年(平成2年) 六甲北有料道路が開通。三田市立図書館開館。
1991年(平成3年) 神戸電鉄公園都市線 横山 - フラワータウン間開通。
1992年(平成4年) 兵庫県立人と自然の博物館が開館。
1993年(平成5年) 兵庫県立三田西陵高等学校開校式。人口増加率が県下で10年連続1位(全国では6年連続1位)
1994年(平成6年) 高平ふるさと交流センター開館。三田幹線が全線開通。
1995年(平成7年) 関西学院大学神戸三田キャンパス開設(西宮市のキャンパスとは別途新設)。 三田市民病院(新庁舎)開院。フラワータウン市民センター開館。
1996年(平成8年) 神戸電鉄公園都市線 フラワータウン - ウッディタウン中央間開通。人口10万人突破。広野市民センター開館。
1997年(平成9年) JR西日本福知山線 新三田〜篠山口間複線化。人口増加率10年連続日本一。
1998年(平成10年) トライやる・ウィークを初めて実施。福知山高速線廃止。
1999年(平成11年) 新三田駅前立体駐輪・駐車場が供用開始。
2000年(平成12年) 藍市民センター開館。センチュリーパーク(三田ウッディタウンサティなど)が営業開始。
2001年(平成13年) 市街地循環バスの試験運行開始(神姫バスが運行受託)
2002年(平成14年) 兵庫県立三田祥雲館高等学校開校式。
2003年(平成15年) Honey FM(ハニーエフエム)が本放送開始。放送局は弥生が丘のフローラ88。
2004年(平成16年)3月 三田市ツーリズム振興指針を策定する。
2004年(平成16年)4月1日 湊川女子高等学校が男女共学化し、三田松聖高等学校に名称変更。
2004年(平成16年)5月 市内の3700万年前の地層から炭獣の化石が発見された(サンダタンジュウ)。
2005年(平成17年)3月6日 三田ツーリズムを開催する。
2005年(平成17年)9月15日 三田駅前一番館「キッピーモール」開業。
2005年(平成17年) ウッディタウン市民センター開館。
2005年(平成17年) 全国育樹祭が兵庫県で開催。皇太子徳仁親王が市内行啓。
2006年(平成18年) 行革断行プラン公表。のじぎく兵庫国体開催(ハンドボール女子、軟式野球)
2007年(平成19年) 三田市総合文化センター(愛称:郷の音ホール)開館。同時に三田市民会館閉館。
2008年(平成20年)7月1日 三田市制50周年。
2012年(平成24年)3月 三田まちづくり憲章を制定する。
2015年(平成27年)1月13日 市役所新庁舎が供用開始。 …

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Quelle: Text: Wikipedia – „三田市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: もんじゃ, Public domain – Wikimedia Commons