三条市: 歴史
=== 沿革 ===
1889年4月1日 - 町村制の施行により、南蒲原郡三条町、一ノ木戸村、裏館村、本城村、槻田村、金子村、上林村、旭村、塚野目村、大槻村、西大崎村、東大崎村、保内村、大島村及び須頃村を設置する。
1892年12月9日 - 南蒲原郡大槻村のうち大字井栗、大字北野新田及び大字白山新田を分け、その区域をもって南蒲原郡井栗村を設置する。
1901年11月1日 -
南蒲原郡三条町及び一ノ木戸村を廃し、その区域をもって南蒲原郡三条町を設置する。
南蒲原郡本城村、槻田村及び金子村を廃し、その区域をもって南蒲原郡本成寺村を設置する。
南蒲原郡上林村及び旭村を廃し、その区域をもって南蒲原郡栗林村を設置する。
南蒲原郡井栗村、塚野目村、大槻村、西大崎村、東大崎村及び保内村を廃し、南蒲原郡井栗村、塚野目村及び大槻村大字西潟及び大字下谷地の区域をもって南蒲原郡井栗村を設置する。南蒲原郡大槻村大字敦田、大字三ツ柳及び大字牛ケ島の区域及び西大崎村、東大崎村及び保内村の区域をもって南蒲原郡大崎村を設置する。
南蒲原郡大島村及び須頃村を廃し、その区域をもって南蒲原郡大島村を設置する。
1920年10月1日 - 南蒲原郡裏館村を廃し、その区域を南蒲原郡三条町に編入する。
1925年1月1日 - 南蒲原郡本成寺村大字四日町、大字西本成寺、大字曲淵及び大字新保の一部の区域を南蒲原郡三条町に編入する。
1927年10月1日 - 南蒲原郡栗林村を廃し、その区域を次のとおりそれぞれ南蒲原郡三条町及び井栗村に編入する。
南蒲原郡三条町に編入する区域
大字石上及び大字栗林の区域
南蒲原郡井栗村に編入する区域
大字柳田新田、大字柳場新田、大字三貫地新田及び大字須戸新田の区域
1934年1月1日 - 南蒲原郡三条町を廃し、その区域をもって三条市を設置する。新潟県下4番目、全国123番目。当時の人口3万2897人(5,980戸)。
1951年6月1日 - 南蒲原郡井栗村を廃し、その区域を三条市に編入する。
1954年11月1日 - 南蒲原郡本成寺村及び大崎村を廃し、その区域を三条市に編入する。
1955年1月1日 - 南蒲原郡大島村を廃し、その区域を三条市に編入する。
1955年3月20日 - 三条市大字井土巻の区域を燕市に編入する。
1960年4月1日 - 南蒲原郡栄村大字栗舟及び大字今井字大野畑の区域を三条市に編入する。
1960年11月1日 - 三条市の次の区域を南蒲原郡栄村に編入する。
南蒲原郡栄村に編入する区域
三条市大字金子新田字呉江甲一、から甲一、まで、甲一、から甲一、108まで、甲一、109の一、甲一、109の二、甲一、110の一、甲一、110の二、甲一、111から甲一、132まで、甲一、132の一、甲一、133の一、甲一、134、甲一、144、甲一、145、甲一、149から甲一、154まで、甲一、160の一、甲一、160の二、甲一、161の一から甲一、161の六まで、甲一、162の一、甲一、163の一、甲一、163の三、甲一、164の一、甲一、164の二、甲一、165、甲一、166、甲一、167の一から甲一、167の三まで、甲一、168の一、甲一、168の二、甲一、169、甲一、175の一、甲一、175の二、甲一、176、甲一、177、甲一、178の四、甲一、178の五、甲一、196から甲一、200まで、甲一、201の一、甲一、201の二、甲一、202の一、甲一、202の二、甲一、203、甲一、207の一、甲一、207の二、甲一、208、甲一、209の一、甲一、209の二、甲一、210から甲一、220まで、甲一、220の子、甲一、221、甲一、221の子、甲一、222、甲一、223の一、甲一、223の二、甲一、224から甲一、229まで、甲一、230の一、甲一、231の一、甲一、231の二、甲一、232の一から甲一、232の三まで、甲一、233から甲一、237まで、甲一、237の子、甲一、238、甲一、238の子、甲一、239から甲一、244まで、甲一、244の子、甲一、245から甲一、283まで、甲一、283の子、甲一、284の一、甲一、284の二、甲一、285、甲一、286の一から甲一、286の三まで、甲一、286子の一、甲一、286子の二、甲一、287、甲一、288の一から甲一、288の三まで、甲一、289、甲一、290の一から甲一、290の九まで、甲一、291、甲一、292の一、甲一、292の二、甲一、293から甲一、296まで及び甲一、297の一から甲一、297の六まで並びに東甲一、331から甲一、353まで
2005年5月1日 - 三条市、南蒲原郡栄町及び下田村を廃し、その区域をもって三条市を設置する。
==== 江戸時代以前 ====
885年 - 京都石清水八幡宮より分霊を勧請し、大崎に八幡宮(三条八幡宮)が創建される。
1297年 - 日蓮の孫弟子・日印が青蓮華庵(現在の法華宗陣門流総本山・本成寺)を創建。
1507年 - 永正の乱。三条島ノ城将山吉能盛が守護代の長尾為景(三条長尾氏。上杉謙信の父)につく。
1577年 - 神余親綱が三条島ノ城主となる。
1599年 - 堀直政が三条城島ノ城主となる(5万石)。八幡宮が現在地へ移る。
1608年 - 堀直政の長男・堀直清が三条島ノ城主となる。
1610年 - 堀家のお家騒動により堀直清が改易、三条島ノ城は廃城。
1616年 - 幕府が市橋長勝を伯耆矢橋から三条城主(4万1,300石)に任じ、三条島ノ城の信濃川対岸(現在の元町。旧三条小学校付近)に新たに城地を定めて三条城を築城。
1620年 - 幕府が稲垣重綱を同じ越後国の刈羽郡藤井から三条城主(2万3,000石)に移封。
1623年 - 稲垣重綱が大阪城番となり、三条城は廃藩。出雲崎代官領となる。
1631年 - 三条城廃城。
1642年 - 長岡藩主牧野忠成が幕命により三条城を破却。
1649年 - 出雲崎代官領から村上藩(松平藤松)となる。
1675年 - 三条村が「裏館村」、三条新田(新田三条)が「三条町」と改称。
1690年8月 - 東本願寺三条掛所(現在の真宗大谷派三条別院)創設、浄圓寺御堂が仮本堂となる。
1703年8月 - 東本願寺三条掛所本堂完成、入仏式挙行。
1822年 - 三条八幡宮の大名行列が三条の領主である村上藩主内藤信敦の京都所司代就任を祝って始められる。
1828年12月18日(旧暦霜月:11月12日) - 三条地震(朝五ツ時上刻:7:40頃。マグニチュード6.9)。
1872年11月4日 - 三条小学校創立。
1873年9月25日 - 五十嵐川に初めての橋、三条橋(のちの嵐川橋)架橋。
1877年10月 - 松尾与十郎らの尽力により五十嵐川左岸の築堤工事が完成。
1878年9月21日 - 明治天皇が北陸地方を巡幸し、東本願寺三条別院(東別院)の御在所に宿泊。
1879年5月12日 - 三条町に南蒲原郡役所が開設される。
1880年5月21日 - 糸屋万平火事。
1881年4月15日 - 三条で初めての金融機関三条会社(のちの三条銀行)創業。
1885年10月4日 - 瑞雲橋架橋。
1887年8月19日 - 日本で初めての日食観測(皆既日食)が大崎山の山頂で観測。
1894年8月11日 - 五十嵐川が氾濫し、曲淵・田島・西大崎で破堤。
1896年 - 10月30日に三条銀行の貯蓄部門を三条貯蓄銀行として独立、11月26日に北越商業銀行が二ノ町に設立される。
1897年11月20日 - 北越鉄道の沼垂駅‐一ノ木戸駅間が開業。
1898年6月16日 - 北越鉄道の一ノ木戸駅‐長岡駅間が開業、同時に三条駅開設。
1901年3月18日 - 新潟県立新潟中学校三条分校(現:新潟県立三条高等学校)設置。
1906年6月24日 - 東本願寺三条別院(東別院)の現在の本堂が建立され、1908年(明治41年)7月3日に落慶入仏式挙行。
1910年5月9日 - 三条町町立三条女子工芸学校(現:新潟県立三条東高等学校)設置。
1911年4月15日 - 南蒲原郡三条商工学校(現:新潟県立三条商業高等学校、新潟県立新潟県央工業高等学校)開校。 …