Heimatgeschichte · Gotenba ·

御殿場市: 歴史

御殿場市: 歴史

奈良時代、東海道足柄路の横走(よこばしり)駅が、現在の御殿場市から小山町竹之下の辺りにあったらしい。平安時代に書かれた『更級日記』によれば横走の関であり、傍らに岩壺という名泉があったという。
平安時代後期1100年頃の伊勢神宮の荘園「大沼鮎沢御厨」があった。これ以降、御殿場市や小山町あたりを御厨(みくりや)と呼ぶ。
戦国時代、境目の地域として、駿河国の今川氏、相模国の後北条氏、甲斐国の武田氏による争奪の舞台となる(河東一乱)。特に後北条氏、武田氏による深沢城の戦いが知られる。
江戸時代は小田原藩領になる。1707年(宝永4年)に起きた富士山の 宝永大噴火で壊滅的な被害を受け、小田原藩では対処しきれないため天領(江戸幕府直轄地)となり、後に小田原藩領に戻る。
幕末の1868年(慶応3年)、大政奉還で幕府将軍を退いた徳川宗家に 駿府藩(静岡藩)の一部として与えられた。1871年(明治4年)、廃藩置県に伴い静岡県に編入された。
1889年(明治22年)2月1日には、現在より北寄りのルートで整備された東海道本線(現在の御殿場線)が開通し、御殿場駅が開設された。
1889年(明治22年)4月1日の町村制施行により、駿東郡御厨町、富士岡村、原里村、印野村、玉穂村、高根村が誕生。御厨町は1914年(大正3年)に御殿場町へ改称された。
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東地震(関東大震災)では、現在の御殿場市域も大きな被害を受けた。

1929年(昭和4年)2月10日、市内にあった製糸工場から出火。女子工員ら14人が死亡。
1934年(昭和9年)12月1日に丹那トンネルが開通して東海道本線のルートが熱海駅経由に変更され、一時的に人口流出現象が起こる。
太平洋戦争後の1955年(昭和30年)2月11日、駿東郡御殿場町、富士岡村、原里村、印野村、玉穂村が対等合併して市制が施行され、御殿場市が誕生。1956年(昭和31年)1月1日には駿東郡高根村を、1957年(昭和32年)9月1日には駿東郡小山町の古沢地区を編入した。
1969年(昭和44年)5月26日に東名高速道路御殿場インターチェンジ(IC)が、2012年(平成24年)4月14日には新東名高速道路御殿場ジャンクション(JCT)が供用開始となった。

平安時代に伊勢神宮の荘園(大沼鮎沢御厨)があったことから、現在の御殿場市、小山町、および裾野市の一部は「御厨」と呼ばれた。
1616年に亡くなった徳川家康の遺体を久能山東照宮から日光東照宮へ移送する際に仮の御殿を建てて、遺体を安置したところから「御殿場」という地名は生まれた。御殿の位置は御殿場高校そばの吾妻神社付近だったとされている。御殿建設の際に各地から職人が集められ、御殿場市御殿場付近の町「御殿新村(御殿場村)」が形成された。
明治時代になり、町村制(明治の大合併)に対応して御殿場村と周辺の集落が合併する際に新しい町の名称として「御殿場町」とする案が挙がった。しかし、他の村に配慮して、古来の地名である「御厨町」が採用された。御厨町誕生時に既に御殿場駅や御殿場郵便局が開業していたこと、県内に磐田郡御厨村・南御厨村が存在していたことなどから、ほどなくして知名度が高い御殿場町に改称された。なお、御厨町(御殿場町)の範囲は旧来の御厨の一部にすぎない。
現在は、御厨という語は主に御殿場市や小山町で、古風さや郷愁を感じさせる表現として用いられる。また、両市町を合わせて「御厨地方」と呼ぶ場合がある。
御殿場のローマ字表記は旧ヘボン式のGotembaと、修正ヘボン式(訓令式とも共通)のGotenbaが使われ、統一されていない。御殿場市の公式サイトではGotembaとしている。
他に、御殿場市と小山町、場合によっては裾野市も合わせて「北駿地方」(ほくすん)と呼ぶこともある。

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Quelle: Text: Wikipedia – „御殿場市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: No machine-readable author provided. Jungle assumed (based on copyright claims)., CC BY 2.5 – Wikimedia Commons