蒲郡市: 歴史
=== 概要 ===
形原遺跡は縄文時代早期の遺跡である。また蒲郡市内各所から弥生土器が見つかっており、神ノ郷の赤日子神社周辺では、弥生時代の大規模環濠集落の跡である赤日子遺跡が発掘されている。6世紀中頃の古墳時代には、五井山麓に横穴式石室をもつ円墳・権現山古墳が築造されるなどした。かつて西郡(にしのごおり)と称された蒲郡市に関する最も古い史料として、7世紀後半から8世紀の木簡に、方原(今の形原)、美養(今の三谷)の地名が見える。平安時代、12世紀に3年半ほど三河の国司を務めた歌人藤原俊成は遥任と考えられているが、当地に屋敷を構えて荘園、蒲形荘・竹谷荘を開発し、琵琶湖竹生島から勧請した八百富神社を竹島に創建したなどとも伝わる。のちに藤原俊成から熊野三山(和歌山県南部)に竹谷荘、蒲形荘が寄進され、熊野別当湛快やその娘婿で、平清盛の弟でもある平忠度などが領して、熊野系武士団の形成や熊野系神社の創建、熊野地方との海上交通がなされた。
源平合戦で平忠度が戦死すると平家没官領となったが、合戦末期に熊野水軍の源氏方加担などに対する恩賞的に、源頼朝により熊野山領に戻された。12世紀後半には熊野別当系で、将軍源頼朝の叔父にあたる源行家により五井城が築かれた。鎌倉時代に入ると、初代三河守護安達盛長により、八劔神社社殿の造営や、三河七御堂の五井長泉寺及び大塚丹野御堂の建立がなされた。やがて藤原氏系荘官で、湛快の子孫にあたる熊野出身の鵜殿氏が上ノ郷城等を拠点として支配地としていた。室町時代、大塚に、のちの三河牧野氏臣下牛久保六騎岩瀬氏につながる岩瀬忠家により中島城が造られた。応仁の乱が始まると、三河守護細川成之の命で御堂山に丹野城が築かれたが、わずか1年で西軍一色氏被官三河牧野氏により落とされた。戦国時代になると岩津城(岡崎市岩津町)の松平氏宗家第三代松平信光は、当地にまで勢力を伸ばし、子を分立して竹谷松平家、形原松平家、五井松平家が置かれ、形原城等が築かれた。その後鵜殿松平家も置かれたとされる。
やがて松平氏が駿河の戦国大名今川義元の傘下となると、鵜殿氏も今川氏被官となる。徳川家康が岡崎城に入り松平氏が今川氏から自立すると、鵜殿氏は分裂し、今川方に残った上ノ郷城の本家鵜殿長照は、上ノ郷城の戦いで竹谷松平家松平清善や徳川家康率いる甲賀忍者らに討たれた。一方、早期に家康に帰順した下ノ郷鵜殿氏はそのまま残った。長存寺はこの下ノ郷鵜殿氏の菩提寺である。上ノ郷城には鵜殿氏に代わって、家康生母於大の方の再婚相手・久松俊勝が入り、安楽寺を菩提寺とした。以降久松氏が当地を治めたが、安土桃山時代には、徳川家康の関東移封に伴って、豊臣家臣の吉田城(愛知県豊橋市)主池田輝政が上ノ郷城を有した。江戸時代には蒲形に町ができ、西郡の町と呼ばれた。現在の市域の多くは旗本・寺社領であり、一部が岡崎藩や、竹谷松平家等が治めた三河吉田藩(豊橋藩)、形原松平家が治めた形原藩の領地であった。また、のちに竹谷松平家が西郡5000石を領し、蒲形陣屋を築いた。産業では、三河木綿の生産や、平安時代以降衰退していた製塩が盛んになり、平坂街道を利用した商業も行われた。
1912年(明治45年)、三河湾の景勝地である「竹島」と桟橋で繋がる対岸部に名古屋の織物商 滝信四郎氏が料理旅館「常磐館」を創業すると、当時の文豪や政治家からも人気を博した。1934年(昭和9年)には、鉄道省認定の政府登録国際観光旅館として、常磐館の洋風別館「蒲郡ホテル」が建築された(経済産業省が認定する「近代化産業遺産」、国の「登録有形文化財」、市の「景観重要建造物」に認定されており、愛知県三河地方を代表する歴史的建築物でもある)。
第二次世界大戦中は、学徒勤労動員により男子の多くが豊川海軍工廠に動員された。岡崎空襲や豊川空襲のような戦禍は被らなかったものの、大戦末期の1945年(昭和20年)1月13日に発生した三河地震では形原町を中心に大きな被害を受けたにもかかわらず、軍部により被害状況が隠蔽され、行政による組織的な救援活動もなされなかった。戦後はガチャマン景気で三河木綿の生産が盛んになされた。
豊川市が宝飯郡から分離し市制を敷いた影響を受け、宝飯郡14町村のうち最多の人口(約21,000人)を擁する蒲郡町を中心に市制施行への動きが出た。当初、西宝地区6町村での合併が望まれたが、1954年(昭和29年)に3町村(旧蒲郡町・旧三谷町・旧塩津村)での合併となり、のちに1955年(昭和30年)10月1日に旧大塚村が分村合併。1959年(昭和34年)、伊勢湾台風による高潮で大きな被害を受けた。1962年(昭和37年)4月1日に旧形原町、翌年4月1日に西浦村が合併し現在の蒲郡市の市域となる。
明治・大正
1878年(明治11年)12月28日 - 宝飯郡蒲形村と西之郡村が合併し、その際両村の「蒲」と「郡」を一字ずつ取って蒲郡村(「か」まごおりむら)となる。同日、相楽、牧原、金平村が発足する(県の正式承認日。合併は1876年に行われた)。
1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行。蒲郡村、府相村、小江村、新井形村が合併し、宝飯郡蒲郡村となる。
1891年(明治24年)10月6日 - 蒲郡村が町制施行し、蒲郡町となる。
1906年(明治39年)7月1日 - 蒲郡町、豊岡村、静里村、神ノ郷村が合併し、蒲郡町となる。
昭和・平成
1954年(昭和29年)4月1日 - 宝飯郡蒲郡町、三谷町、塩津村が合併し、蒲郡市(「が」まごおりし)として市制施行(愛知県15番目の市)。人口48,522人。
1955年(昭和30年)
7月20日 - 市章制定。図案は公募されたもので、徳川の親系、蒲形松平家の家紋である「丸に一の字」を図案化したものが採用された。
10月1日 - 宝飯郡大塚村(大字大塚、大字相楽)を分村合併により編入(大字赤根、大字大草は旧御津町に編入)。人口51,902人。
1957年(昭和32年)4月10日 - 翌日にかけて昭和天皇、香淳皇后が市内に行幸啓。御泊所となった蒲郡ホテル前で、市民が打ち上げ花火、仕掛け花火を行い奉迎する。
1959年(昭和34年)9月26日 - 伊勢湾台風により死者2名、重軽傷者366名、家屋全壊267戸、流失556戸、床上浸水1,814戸、床下浸水659戸の被害。
1961年(昭和36年)11月12日 - 旭町に新市庁舎(現・市庁舎本館)竣工。
1962年(昭和37年)4月1日 - 宝飯郡形原町を編入。人口69,772人。
1963年(昭和38年)4月1日 - 宝飯郡西浦町を編入。人口81,046人。
1967年(昭和42年)6月20日 - 蒲郡北駅前地下街の開業。
1972年(昭和47年)11月3日 - 蒲郡市民憲章の制定。同時に市の木「クス」市の花「ツツジ」が制定。
1974年(昭和49年)4月14日 - 市制20周年を記念し「蒲郡市民の歌」および「蒲郡ふるさと音頭」を制定。
1981年(昭和56年)11月4日 - 沖縄県浦添市と友好都市提携。
1996年(平成8年)7月27日 - ギズボーン市(ニュージーランド)と姉妹港提携。
2005年(平成17年)3月17日 - 「観光交流立市」を宣言。
== 行政 ==
市長:鈴木寿明(2019年11月7日就任、1期目)
東三河地区および岡崎市・幸田町・西尾市と消防相互応援協定を締結している。
保健所や公共職業安定所は豊川市の出張所・支所扱いとなっている。
法務局(不動産登記等)は名古屋法務局豊川出張所の管内で、市役所内に「蒲郡法務局証明サービスセンター 」が設けられている。
蒲郡市役所
〒443-8601 愛知県蒲郡市旭町17番1号
東部市民センター
〒443-0021 愛知県蒲郡市三谷町七舗142番1号
西部市民センター
〒443-0104 愛知県蒲郡市形原町御嶽57番1号
中部市民センター
〒443-0043 愛知県蒲郡市元町19番13号
南部市民センター
〒443-0031 愛知県蒲郡市竹島町15番65号
2014年度(平成26年度)当初予算
平成の大合併で、市町村合併を選択しなかった蒲郡市だが、2005年度の経常収支比率は県内35市で最高の95.9%に達している。 …