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日光市: 歴史・沿革

日光市: 歴史・沿革

江戸時代以前、日光は日光山の門前町、修験道の道場であり山岳信仰の聖地であった。鎌倉時代には日光権現として知られていた。その後、徳川家康が覇権を握ると家康に仕えその深い信頼を得ていた慈眼大師天海が家康の力により日光山貫主となり、家康の死後はその進言により家康の神号が権現となり廟所も日光東照宮となった。日光が参詣客(物見遊山)で賑わうようになったのはこの頃からである。日光参詣のために、日光街道を初め、日光西街道(壬生通り)、日光例幣使街道、日光北街道、会津西街道など、多くの参拝路が整備された。
明治時代に入ると富国強兵の国策のもと、海外からお雇い外国人が渡航するようになり、当時海外にも広く知られていた景勝地日光を訪れる外国人が増えた。イザベラ・バードやフランツ・フェルディナント大公は日光滞在中の出来事を手記として残し、当時の日光の様子を知る貴重な文献として知られている。こうした外国人が日光に快適に滞在・宿泊するため、ホテルなどの施設が整備され、以後、国際観光都市として広く世界に知られるようになった。特に日本駐在大使館・領事館の別荘が多く建てられ、「夏になると外務省が日光に移る」といわれるほどであった。その名残で現在も日光には洋風建築が多く残っている。

782年(延暦元年):勝道上人が四本龍寺(現輪王寺)を建てる。
784年(延暦3年):勝道上人が中禅寺湖畔に中禅寺を開く。
1617年(元和3年):日光東照宮建立。以来、江戸時代には日光街道の終着地、日光東照宮の門前町となる。

1889年(明治22年)4月1日:町制施行により日光町、七里村、清滝村、細尾村、野口村、北和泉村、山久保村、所野村、久次良村が合併し上都賀郡日光町ができる。
1890年(明治23年)8月1日:旧国鉄(現東日本旅客鉄道)日光駅開業。
1929年(昭和4年)10月1日:東武日光駅開業。
1949年(昭和24年)12月26日:今市地震発生。被害の大きかった今市市と合わせて死者・行方不明者10人、重軽傷者162人、家屋全半壊3369戸。また翌月10日には風速35mの強風により今市市と合わせて家屋約200戸が全壊した。
1947年(昭和22年)9月6日:昭和天皇の戦後巡幸。古河電気工業の精銅所などを視察。
1954年(昭和29年)2月11日:日光町と小来川村が合併して市制を施行し、日光市が発足する。
1957年(昭和32年)2月:細尾スケートリンクが第12回国民体育大会会場となる。昭和天皇の行幸もあり、日光金谷ホテルが行在所となった。
1969年(昭和44年)10月5日:「日光市の歌」(旧)を制定。
2006年(平成18年)3月20日:今市市、(旧)日光市、足尾町、藤原町、栗山村が合併(新設合併)し、現在の日光市が発足する。同時に2代目の市章を制定する。
2011年(平成23年)3月20日:合併5周年を記念し「日光市の歌」(新)を制定。

合併後の現在の日光市(新日光市)の面積が余りにも大き過ぎるので、合併前の従来の日光市(旧日光市)のデータも右記の通り掲載する。
新・日光市は平成の大合併によって発足した自治体であり、これに伴って旧・日光市は廃止されている。従って、新日光市と旧日光市は、制度上異なる自治体となる。2006年以後の日光市役所本庁は旧今市市役所(今市本町)であり、合併後最初の日光市長は元今市市長が務めていた。
なお、旧日光市庁舎本館(登録有形文化財)は、日光東照宮や日光駅の近くに立地している。旧日光市域は旧上都賀郡に属していた。

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Quelle: Text: Wikipedia – „日光市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Photo: Qurren (talk), with IXY Digital 10 compact digital camera., CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons