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豊岡市: 歴史

豊岡市: 歴史

741年(天平13年) - 聖武天皇により国分寺の建立の詔が出される。但馬国分寺、国分尼寺は気多郡(豊岡市日高町)に建立される。
804年(延暦23年) - 但馬国府が気多郡高田郷(豊岡市日高町)に遷される。
南北朝時代 - 山名時氏が但馬国を掌握し、城之崎(豊岡市)及び出石(豊岡市出石町)に拠点を置く。
室町時代 - 山名持豊(宗全)により但馬(城崎郡)を中心にして中国地方で栄え、山名氏が最盛期をむかえる。
戦国時代 - 守護代垣屋氏の勢力が強まり山名氏が衰える。
安土桃山時代 - 織田家の武将・豊臣秀吉による但馬侵攻後、宮部継潤が城崎荘を豊岡と改名め、豊岡城を築き、有子山城の山名祐豊と共に但馬を治める。
江戸時代 - 小出吉英が有子山城を出石城と改名する。
江戸時代 - 豊岡藩(杉原氏→京極氏)、出石藩(小出氏→松平氏→仙石氏)が置かれる。
1871年(明治4年)11月2日 - 但馬・丹後・丹波3郡(氷上郡・多紀郡・天田郡)が豊岡県に統合され、県庁が城崎郡豊岡町に置かれる。
1876年(明治9年)8月21日 - 豊岡県が廃止され、兵庫県に編入。
1925年(大正14年)5月23日 - 北但馬地震(北但大震災)により、城崎郡豊岡町、城崎郡城崎町、城崎郡港村などが被害を受ける。特に豊岡町は目抜き通りの約1500戸が全焼した。死者425、住家全壊942、全焼1,696、半壊1,263、破損44,151。
1947年(昭和22年)11月27日 - 山陰方面に昭和天皇の戦後巡幸。お召し列車が豊岡駅に6分間停車した時間を利用し、駅前奉迎が行われる。
1950年(昭和25年)
4月1日 - 城下町の中心部であった城崎郡豊岡町と周辺の村が合併し、豊岡市となる。
8月10日 - 初代の市章を制定する。
11月3日 - 初代「豊岡市歌」を制定する。
1959年(昭和34年)9月26日 - 台風15号(伊勢湾台風)により大水害となる。死者7名、浸水16,833戸。
1966年(昭和41年) - 豊岡盆地に生息していた国内最後の野生コウノトリが死亡する。
1986年(昭和61年) - 人工飼育が続けられていた豊岡盆地の最後のコウノトリが死亡する。
1989年(平成元年)5月16日 - ロシアから譲り受けたコウノトリの繁殖に初めて成功する。
1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災発生。豊岡で震度5を記録。
2002年(平成14年)8月5日 - 野生コウノトリ(雄、通称ハチゴロウ)が飛来し、住み着く(~2007年(平成19年)2月27日死亡が確認される)。
2004年(平成16年)10月20日 - 台風23号により円山川、出石川の堤防決壊などにより、大水害となる。死者7名、全壊333、半壊3733、床上床下浸水3843。
2005年(平成17年)
7月10日 - 2代目の市章を制定する。
9月24日 - 人工飼育のコウノトリが自然放鳥される(2006年(平成18年)9月23日、24日追加放鳥)。
2006年(平成18年)
7月31日 - 野生コウノトリ(雌、通称エヒメ)が飛来し、住み着く。
9月1日 - 2代目の市旗を制定する。
2007年(平成19年)7月31日 - 野生のコウノトリが日本で46年ぶりに巣立ちをする。
2008年(平成20年)3月29日 - 2代目の「豊岡市歌」を制定する。

昭和期における合併において、豊岡町は戦前から円山川改修や上水道、道路の整備等大規模な公共投資を行いつつ、近隣の村落を合併して「大豊岡」構想の実現を目指していた。戦前の市制施行はならなかったが、姫路市のラモート合併を見た豊岡町長・伊智地茂は1946年(昭和21年)1月29日、姫路にラモート中佐をたずね、豊岡町と新田村・五荘村・中筋村・奈佐村・国府村・新美村などとの合併問題への協力を依頼した。ラモート中佐はさらに進めて日高町・城崎町・出石町・小坂村・内川村・港村・八代村をも含めた14町村の合併を提案し、豊岡町はこの線に沿って合併協議を進めようとする。城崎町は温泉地の復旧を見越してこの提案に賛成したが、日高町は合併に反対、出石町は消極的な姿勢を見せ、これ以外の10村は14町村の大同団結なら賛成と様子見の姿勢を見せた。結局この提案はラモート中佐の帰国により立ち消えとなる。市制施行の期待はなお高く、公職追放により伊智地に代わって町長となった佐川辰夫は新制中学校組合・消防事務組合を通して市政施行の機を待ち、1949年(昭和24年)3月ごろより豊岡町・五荘村・新田村・中筋村がそれぞれ合併準備会・研究会を設けて検討を始め、同年11月28日の各町会・村会において翌年4月からの合併・市制施行を決議した。市制施行後も「大豊岡」構想に基づき周辺の町村に合併を持ち掛け、これに応じた村の編入を進めたが、ラモート中佐の唱えた規模の大合併は昭和期には実現しなかった。

1950年(昭和25年)4月1日 - 城崎郡豊岡町・五荘村・新田村・中筋村が合併して旧豊岡市が発足。
1955年(昭和30年)4月1日 - 城崎郡奈佐村・港村が豊岡市に編入。
1957年(昭和32年)9月1日 - 出石郡神美村の一部(奥野・市場・三宅・森尾・立石・香住・下鉢山・上鉢山・長谷・倉見)が豊岡市に編入。
神美村の分村経緯については神美村#歴史を参照。
1958年(昭和33年)1月1日 - 日高町の一部(上佐野)が豊岡市に編入。
この分町経緯については国府村 (兵庫県)#歴史を参照。
1976年(昭和51年)9月1日 - 以下の境界変更を実施。
豊岡市の一部(引野字上河原の一部)が城崎郡日高町に編入。
城崎郡日高町の一部(西芝字大向野の一部)が豊岡市に編入。
2005年(平成17年)4月1日 - 豊岡市・城崎郡城崎町・竹野町・日高町・出石郡出石町・但東町が合併し、改めて豊岡市が発足。これにより、城崎郡及び出石郡が消滅。
現在の市域は明治以前の城崎郡、気多郡、出石郡の全域、養父郡、美含郡の各一部にあたる。

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Quelle: Text: Wikipedia – „豊岡市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: 663highland, CC BY 2.5 – Wikimedia Commons