武蔵村山市: 歴史
「村山」の地名の由来は、武蔵七党の一つである村山党の根拠地であったためとされる。
現在本市の一部となっている岸村および西多摩郡瑞穂町の一部となっている殿ヶ谷村、石畑村、箱根ヶ崎村が江戸時代初期に「村山」と総称されており、1917年に発足した本市の前身である村山村とは範囲が異なる。
江戸時代初期の「村山」の範囲:岸村、殿ヶ谷村、石畑村、箱根ヶ崎村
本市の前身である村山村の範囲:中藤村、横田村、三ツ木村、岸村
1834年(天保5年)から1871年(明治4年)まで、江戸時代に幕府の陰陽師だった指田摂津正藤詮(さしだせっつのかみふじあきら)が、江戸末期から明治初期までの市内の生活を記録した資料『指田日記』を記す(指田家に残り、市指定有形文化財に指定される)。
1868年 - 明治政府によって韮山県が設置され、多摩郡中藤村、横田村、三ツ木村、岸村は韮山県に編入される。ただし三ツ木村の旗本領は武蔵知県事・古賀一平の管轄(のち品川県)となる。
1869年8月 - 三ツ木村の旧旗本領が品川県から韮山県に移管される。
1871年11月 - 府県統合により入間県に編入されることとなるが、実際には神奈川県へ編入される。
1878年11月18日 - 郡区町村編制法の神奈川県での施行により多摩郡が分割され、中藤村、横田村、三ツ木村、岸村の所属郡が北多摩郡に変更。
1889年4月1日 - 中藤村、横田村、三ツ木村、岸村がそれぞれ単独で町村制を施行するも、中藤村外三ヶ村組合が設立される。
ちなみに同日、北多摩郡野口村、廻田村、大岱村、久米川村、南秋津村が合併して東村山村(→1942年東村山町→1964年東村山市)が発足している。
1893年4月1日 - 三多摩地域が東京府に移管される。
1908年4月1日 - 中藤村と横田村が合併し、改めて中藤村となる。この合併により、中藤村外三ヶ村組合が中藤村外二ヶ村組合になる。
1917年4月1日 - 中藤村、三ツ木村、岸村が合併し、村山村が発足。
1954年11月3日 - 村山村が町制を施行し、村山町となる。
1962年 - プリンス自動車工業村山工場が操業開始。
1966年
都営村山団地入居開始。これを皮切りに人口が急増する(1965年:14,069人→1970年:41,275人)。
8月1日 - プリンス自動車工業が日産自動車に合併され、日産自動車村山工場となる。
1968年11月1日 - 立川市と一部境界変更。
1970年11月3日 - 村山町が市制を施行。山形県村山市が既に存在したため、即日改称して武蔵村山市となる。
同年10月1日に狛江町、久留米町、清瀬町、大和町が市制を施行し、村山町が北多摩郡最後の町村となっていたため、村山町の市制施行により北多摩郡が消滅した。
1996年 - 市民歌「我がまち武蔵村山」および「花の遊歩道」、市民音頭「武蔵村山音頭」を選定。