田辺市: 歴史
源義経の片腕である武蔵坊弁慶のふるさととされる、この田辺は熊野水軍の根拠地でもあった。江戸時代には口熊野の中心地として重視され、紀伊徳川家の一族や重臣が田辺に封ぜられた。明治維新の際には版籍奉還によって田辺藩が成立した。後の1871年(明治4年)には、廃藩置県によって田辺藩に代わって田辺県が置かれ、1877年(明治10年)に和歌山県に合併された。
1947年(昭和22年)に昭和天皇の戦後巡幸が行われた際には、県立水産学校、田辺第二小学校などに行幸が行われた。
数年にわたる誘致活動を経て、1973年(昭和48年)からプロ野球の南海ホークスがキャンプ地としていた。
1942年(昭和17年)5月20日 - 西牟婁郡田辺町 ・下芳養村が新設合併して田辺市が発足。臨時市長代理に田辺町長であった那須孫次郎が就任し、同年7月11日の市会で初代市長に選ばれた。
1950年(昭和25年)12月15日 - 西牟婁郡万呂村・下秋津村・稲成村を編入。
1954年(昭和29年)2月4日 - 西牟婁郡新庄村を編入。
1955年(昭和30年)3月15日 - 西牟婁郡西富田村を編入。
1958年(昭和33年)7月1日 - 市域の一部(堅田町・才野町)を西牟婁郡白浜町へ分離。
1964年(昭和39年)10月15日 - 西牟婁郡牟婁町を編入。
2005年(平成17年)5月1日 - 日高郡龍神村・西牟婁郡中辺路町・大塔村・東牟婁郡本宮町と新設合併し、改めて田辺市が発足。
2024年(令和6年)5月7日 - 市役所庁舎が移転。
2024年(令和6年)8月8日 - 南海トラフ地震臨時情報が初めて発出。翌日から海水浴場の閉鎖などが行われた。同年8月15日、解除。