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総社市: 歴史

総社市: 歴史

=== 歴史 ===
古代 - ヤマト王権に匹敵しうる勢力として古代王国・吉備国が岡山県、広島県東半分、香川県島嶼部、兵庫県西部(讃岐などの四国も支配下にあったという説もある)をその版図としていたが、その中心地が総社にあったとされている。市内には代表的な古墳として全国10位の規模を誇る作山古墳がある。最近では、ヤマト王権は吉備から発祥したものという説もある。
国郡里制のもとでは、総社市域は賀陽郡(「かや」、賀夜など様々な表記あり)・下道郡(「しもつみち」)・窪屋郡(「くぼや」)という郡に属していた。この郡は明治中期まで続くこととなる。
白村江の戦い(663年)に敗れた大和朝廷軍は、新羅・唐連合軍の侵攻を防ぐために各所に城を築き、その一つに市内の山に鬼ノ城を築いたという説在り(ただし鬼の城は白村江以前に作られた等、多数の説があり、その実態はいまだ解明されていない)。
奈良時代 - 備中国の国府が置かれた。総社市金井戸辺りにあったと言われている。
平安時代 - 末期、高梁川に湛井堰(たたいぜき)が作られたと伝わる。(#湛井十二箇郷組合参照)
室町時代 - 水墨画の巨匠で僧侶の雪舟が出た。
総社宮周辺は門前町として、さらには宿場町として栄える。
江戸時代 - 備中松山藩領、旗本・蒔田(まいた)氏が文久3年(1863年)大名となり誕生した浅尾藩、岡田藩、足守藩、岡山藩支藩である生坂藩(岡山新田藩)、三須知行所、宝福寺領などが混在し、かなり複雑な統治であった。
総社村を中心に清音村・山手村などの地域は、日本五大売薬に挙げられる「備中売薬」という置き薬の地として栄えた。

==== 総社市(初代) ====

明治初期 - 総社市の前身となる賀陽郡総社村が、賀陽郡八部村(「やたべ」)・刑部村(「おしかべ」)、小寺村の一部が合併して誕生。
1889年(明治22年)6月1日 - 賀陽郡総社村と賀陽郡井手村が合併。賀陽郡総社村となる。
1896年(明治29年)2月26日 - 賀陽郡総社村は町制移行し、賀陽郡総社町となる。
1900年(明治33年)4月1日 - 郡の再編が行われる。賀陽郡と下道郡が合併し吉備郡に。窪屋郡と都宇郡が合併し都窪郡(「つくぼ」)となる。 総社市の前身・賀陽郡総社町は吉備郡総社町となる。
1908年(明治41年)2月11日 - 吉備郡総社町は吉備郡浅尾村と合併。
1951年(昭和26年)4月1日 - 吉備郡総社町は吉備郡服部村・神在村と合併。
1954年(昭和29年)
3月1日 - 吉備郡総社町、秦村、都窪郡三須村が合併。
3月31日 - 吉備郡総社町、新本村、山田村、久代村、池田村、阿曽村、都窪郡常盤村の1町6村が合併し総社市となる。
1956年(昭和31年) - 財政再建団体の適用を受ける(1965年に脱却)。
1972年(昭和47年)4月22日 - 総社市に吉備郡昭和町を編入。
1993年(平成5年) - 岡山県立大学が開学。
1997年(平成9年) - 岡山自動車道が完成。
旧清音村の歴史は清音村#沿革、旧山手村の歴史は山手村#沿革をそれぞれ参照。

2005年(平成17年)3月22日 - 総社市(初代)・都窪郡山手村・清音村の3市村が合併(新設合併)し、新たに総社市となる。市章は初代総社市のものを継承。
2007年(平成19年)
9月3日 - 市長の竹内洋二が、公共工事入札介入疑惑を受け辞職。
10月14日 - 片岡聡一が新たな市長となる。
2009年(平成21年)3月2日 - 三菱自動車工業製自動車新車助成金の受付を開始。
2013年(平成25年)10月27日 - 雪舟ゆかりの中国地方6市(総社、井原、三原、山口、防府、益田)が、災害時の相互支援に向けた連携に合意。
2015年(平成27年)3月22日 - 新設合併10周年を記念して「総社市の歌」を制定。
2018年(平成30年) - 西日本豪雨により大きな被害が出る。
2025年(令和7年)4月21日 - 総社市役所新庁舎供用開始。

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Quelle: Text: Wikipedia – „総社市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Mitsuki-2368, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons