敦賀市: 歴史
都怒我阿羅斯等が到来。
成務朝に角鹿国造を任命。
氣比神宮創建
「古事記」「日本書紀」に「角鹿」が記される。
大宝律令(701年完成)において「敦賀」に改称される。
北陸道の松原駅家が置かれていた。
804年 渤海使が訪れ、交易が行われた。松原客館が置かれる(10世紀初期まで)。
1336年 新田義貞が恒良親王と尊良親王を奉じて金ヶ崎城に入城、しかし、足利方の越前国守護である斯波高経らの軍勢に包囲され落城した。
朝倉氏が越前国を掌握した後は、朝倉氏一族の敦賀郡司が置かれる。
朝倉氏の勢力が若狭国にも及ぶ。
1575年 越前国平定のため柴田勝家を総大将とした織田信長軍が敦賀に入る(総勢10万5,000ともいわれる)。
1589年 大谷吉継が越前国敦賀城主となり、5万7,000石(敦賀郡、今立郡、丹生郡)を領有した。
日本海側から大坂へ至る北前船の寄港地として、江戸時代を通して栄えた。
1600年 結城秀康が越前国を領し、京極高次が若狭国を領する。
1623年 結城家が越後国へ国替えとなる。
1624年 京極忠高が若狭国に加え越前国敦賀郡を与えられ、小浜藩の知行地が確定する。
1634年 京極家が国替えとなり、酒井忠勝が小浜藩主(若狭国および越前国敦賀郡)となった。
1639年 加賀藩が、西廻り航路による大坂への輸送に成功する(北前船の発祥のひとつ)。
1642年 大凶作が敦賀を襲う。敦賀大火発生。
1672年 江戸幕府が河村瑞賢に対し、出羽国から大坂への航路開拓を命ずる(北前船の発祥のひとつ)。
1682年 若狭国小浜藩第2代藩主酒井忠直の次男酒井忠稠が、父の死去により同藩領のうちから越前国敦賀郡および近江国高島郡の内で1万石を分与されて敦賀藩を設置。しかし、敦賀郡の大部分は小浜藩が領していた。
1864年 京を目指していた水戸藩尊攘過激派が、敦賀郡新保で藩主直系徳川慶喜率いる討伐隊が来ると聞き投降。翌1865年、敦賀にて武田耕雲斎ら352人が粛清された(天狗党の乱)。
1866年8月7日 鳩原において水害が発生。小浜藩、関口恭孝以下17人が犠牲となる。
1869年8月1日(旧暦6月24日) - 版籍奉還後、敦賀藩主酒井忠経が知藩事(敦賀藩知事)に任命される。
1870年
4月21日(旧暦3月23日) - 敦賀藩が鞠山藩に名称を変更される。
10月12日(旧暦9月17日) - 鞠山藩が廃止されて、小浜藩に編入される。
1871年8月29日(旧暦7月14日) - 廃藩置県により小浜藩が廃止され、敦賀は小浜県の所属となる。
1871年12月31日(旧暦11月20日) - 府県の再編により敦賀県が設置され、県庁所在地となる。
1876年8月21日 - 敦賀県が分割され、滋賀県に編入される。
1881年
2月7日 - 滋賀県から分立されて福井県に編入される。
2月13日 - 滋賀県への復県運動が起こる。
1882年3月10日 - 工部省鉄道局が東海道本線の一部として長浜 - 金ヶ崎(のちに敦賀港と改称され廃止)開業。途中、柳ヶ瀬 - 洞道西口は徒歩連絡。
1884年4月16日 - 上記の徒歩連絡区間が開通。
1892年 - 大和田荘七が大和田銀行を設立(建物は現在敦賀市みなとつるが山車会館別館にあたる)。
1896年
7月 - 逓信省鉄道局北陸線敦賀 - 森田開業。
10月 - 敦賀港が対外貿易港に指定。
1899年7月12日 - 敦賀港が開港場(外国貿易港)に指定される。
1905年 - 石油貯蔵庫として敦賀赤レンガ倉庫が建てられる。
1907年 - 初めて電灯が灯る。
1909年 - 市内電話が開設される。
1910年 - 敦賀駅が現在地に移転。
1912年 - ウラジオストク(ロシア)航路に接続する欧亜国際連絡列車が新橋(1914年からは東京) - 金ヶ崎(後に敦賀港に改称)で運行される。
1917年 - 小浜線敦賀 - 十村間開業。
1918年 - ロシアの作曲家セルゲイ・プロコフィエフがアメリカ合衆国への亡命途上、敦賀にて日本上陸。
1920年 - 1921年- 日本赤十字社が祖国を失いシベリアに取り残されたポーランド孤児を救出。敦賀にて日本上陸。
1927年 - 大和田銀行新本店竣工。
1930年7月9日 - 集中豪雨により市内が冠水。元津内通りが濁流と化した。
1933年
大和田荘七が町庁舎を寄贈。
10月30日 - 県内で行われた陸軍特別大演習終了後、県内を巡幸した昭和天皇が気比神宮、町役場に行幸。
1937年
市制施行記念事業として、大阪毎日新聞福井支局の後援により初代『敦賀市歌』(作詞:志和実枝、作曲:庭本俊雄)を制定。
4月1日 - 敦賀郡敦賀町及び松原村が合併して、敦賀市が発足する。
1940年 - 駐リトアニア共和国大日本帝国領事館勤務の外交官・杉原千畝によりナチスからの迫害を逃れてきたユダヤ人が、敦賀港へ上陸(命のビザ)。
1945年 - 敦賀空襲により被災。
1947年 - 市内路線バス営業開始。
10月24日 - 昭和天皇が行幸(昭和天皇の戦後巡幸の一環)。市役所、国立福井療養所、敦賀機関区などを訪問。
1952年 - 市制15周年を記念し、2代目『敦賀市歌』(作詞:花田龍彦、作曲:下総皖一)を制定。
1955年1月15日 - 敦賀郡愛発村、粟野村、東郷村、中郷村及び東浦村を編入する。これによりかつての敦賀郡全域が敦賀市となったため、敦賀郡が消滅。
1957年 - 国鉄北陸本線敦賀 - 米原間、現在の経路で交流電化開業。
1962年
国鉄北陸本線北陸トンネル完成。
4月 - 福井県立敦賀工業高等学校開校。
1963年1月 - 三八(サンパチ)豪雪、154cmの積雪を記録。
1968年安政の大獄や桜田門外の変以来の歴史的なわだかまりがあった水戸市と彦根市が、天狗党の乱に関わる本市の仲立ちにより、親善都市の盟約を結ぶ。
1970年
3月 - 日本原子力発電敦賀発電所1号機(沸騰水型軽水炉)運転開始。関西電力へ売電され、同社の送電網を通じて大阪府吹田市で開催中の日本万国博覧会会場へ同社美浜発電所1号機(加圧水型軽水炉)と共に送電。
8月 - 新日本海フェリーの舞鶴港 - 敦賀港 - 小樽港航路就航。
1972年 - 国鉄北陸トンネル火災事故発生。
1974年
敦賀市本庁舎移転完成。
4月1日 - 学校法人湖海学園昭英高等学校開校。
8月 - 新日本海フェリー、敦賀 - 新潟 - 小樽航路就航。
1977年 - 日本道路公団北陸自動車道の武生 - 敦賀間開通。
1980年 - 日本道路公団北陸自動車道の敦賀 - 米原間開通。名神高速道路に接続。
1981年
1月 - 五六豪雪で196cmの積雪を記録。
大韓民国東海市と姉妹都市盟約締結。
国道27号金山バイパス、敦賀市岡山 - 野神間開通。
1985年
白木トンネル開通。
氣比神宮で昭和の大造営。
1986年
「えびす大黒綱引き」が「敦賀西町の綱引き」の名称で国の重要無形民俗文化財に指定。
学校法人敦賀学園敦賀女子短期大学開学(後に、敦賀短期大学となったのち、2013年3月末閉学)。
学校法人嶺南学園敦賀気比高等学校開校。
敦賀セメント・北陸電力共同岸壁が完成。
福井厚生年金健康福祉センター「サンピア敦賀」(現 ニューサンピア敦賀)(呉羽町)が開所。
1987年
1月 - ズ・ダン号事件が起こる。
2月 - 日本原子力発電敦賀発電所2号機(加圧水型軽水炉)運転開始。
1988年
国道8号敦賀バイパス余座 - 坂ノ下間開通。
4月7日 - 学校法人嶺南学園敦賀気比高等学校付属中学校開校。
中郷古墳群が国の史跡に指定。
敦賀港鞠山北A岸壁供用開始。
1989年 - 嶺南ケーブルネットワークがケーブルテレビ放送開始。
1990年
大韓民国釜山港との間に定期コンテナ船就航。
敦賀港鞠山北C岸壁供用開始。
敦賀市プラザ萬象(ばんしょう)(東洋町)が開館。
1991年
敦賀港鞠山北B岸壁供用開始。
敦賀市立図書館(東洋町)が移転開館。
北陸電力敦賀火力発電所営業運転開始。
1992年 - 敦賀市清掃センター(櫛川)が完成。
1993年 - 国道27号金山バイパス野神 - 木崎開通。
1994年
日本海さかな街(若葉町一丁目)が開業。
4月 - 敦賀市立看護専門学校開校。
旧動力炉・核燃料開発事業団の高速増殖炉「も …