みよし市: 歴史
=== 近世 ===
江戸時代に編纂された三河国の地誌『三河国二葉松』には、三吉や打越という村落名が見える。天保8年(1837年)に製作された『参河国全図』には、三吉、黒笹、打越、一色、北莇生、南莇生という村名が見える。
1881年(明治14年)8月1日 - 北莇生村と南莇生村が合併し、莇生村となる。
1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、三吉村・福田村・西一色村が合併した西加茂郡三好村、莇生村・福谷村・黒笹村が合併した莇生村、明知村・打越村が合併した明越村が発足した。
1906年(明治39年)7月1日 - (旧)三好村・莇生村・明越村が合併して(新)三好村が発足した。
1958年(昭和33年)4月1日 - 三好村が町制を施行して三好町が発足した。
2002年(平成14年)12月24日 - 人口5万人を突破。
2003年(平成15年)8月5日 - 豊田加茂合併協議会から離脱。
2010年(平成22年)1月1日 - 人口6万人を突破。
2010年(平成22年)1月4日 - 三好町がみよし町に改称。同時に市制を施行してみよし市が発足した。同時に西加茂郡が消滅した。
豊田加茂合併協議会
2003年6月に全世帯主を対象に、アンケート用紙を配布して「町民アンケート」を実施。(有効回答率67.69%)
どの行政区も、合併のメリットより単独での市制を希望する結果となった。上記の結果を受け、同年8月に豊田加茂協議会から離脱を表明した。
町制の維持
2005年11月に全世帯主を対象に、アンケート用紙を配布して「町民アンケート」を実施。(有効回答率65.1%)
町北部は過半数で市制施行を望んだが、町中南部は過半数で町制維持を望んだ。結果、過半数を占めた「町制維持」を決定した。
合併協議のアンケート時では、町中南部でも市制施行が多かったがこのときの結果は違った。これは現状に満足している点や、市制により福祉事務所設置など新たな出費に懸念した結果と思われる。この結果を受け、町制維持を決定した。また2006年(平成18年)1月31日をもって市制準備室は廃止した。
市制施行
豊田市との合併拒否、豊田ナンバーへの参加を拒否し、東西加茂郡を唯一構成する自治体として残留したが、愛知県内での郡町村の数の激減による郡町村構成自治体の発言力の低下、また近隣の知多郡東浦町が市制施行を準備しているなど、もはや郡部に残留するメリットがないと判断した。
しかし市制施行した場合、すでに三好市が徳島県に存在し、「同じ漢字の市名は既存の市の名称と同一とならないように十分配慮すること」との1970年の自治省通知に抵触する問題に直面した。2004年に総務省から「相手方に異議がなければ拒否するものではない」との見解を得たものの、2007年11月に徳島県三好市側より「議会や市民も到底納得できない。反対であることをお伝えするしかない」と拒否され、結局市名は平仮名で「みよし市」に(ひらがな・カタカナ地名)、施行時期は2010年1月4日に決定した。行政手続きとしては、まず「三好町」を「みよし町」に改名し、同時に市制施行することとなった。