八女市: 歴史
中心部の平地では戦国時代、蒲池氏の領地で、蒲池親広にはじまる蒲池庶流の上蒲池の支配地であった。安土桃山時代以降、豊臣秀吉の九州平定により筑紫広門が領主として封され、平地に築いた平城として初見され、八女市福島村の中心部に城郭を築いた。関ヶ原の戦い以後、石田三成捕縛の戦功により福島城は筑後32万石領主田中氏により三重掘三層天守の筑後地区最大級の平城として改築された。1615年 江戸幕府の一国一城令の発布により福島城は破却されたが、江戸時代の始めに形成された城下町の町人地部分は残り、後に久留米藩内で最大級の在郷の商家町として発展した。現在も町割等に城下町として計画された町の歴史を良く伝え、街路に沿って塗屋造の町家を中心に江戸時代から近代にかけての伝統的建造物が連たんして残っている。市の北部には1500年前の北部九州最大の豪族筑紫の君磐井の墓岩戸山古墳がある。戦時中の1943年には旧・福島町が首都遷都の候補地に挙がっていた。
1889年(明治22年)4月1日 - 上妻郡福島町・福島村・稲富村が合併して上妻郡福島町が発足。
1896年(明治29年)4月1日 - 上妻郡・下妻郡が統合して八女郡福島町となる。
1951年(昭和26年)4月1日 - 八女郡福島町・長峰村・三河村・八幡村・上妻村が対等合併。新町制による福島町が発足。
1954年(昭和29年)4月1日 - 福島町が八女郡川崎村・忠見村・岡山村の大部分(大字前津、大字長浜は筑後市へ編入)を編入。市制施行。福島市として手続きしたが、福島県福島市と同名になるため、即日改称。当初は「筑後福島市」となる予定であったが、羽犬塚を中心とする「筑後市」と隣接して紛らわしいこと、字数が長いことなどが考慮され、「八女市」と決定した経緯がある。その際、旧福島町民からは強い反発があったが、合併協議会執行部や有識者らが住民を熱心に説得したという。
2006年(平成18年)10月1日 - 八女郡上陽町を編入。
2010年(平成22年)2月1日 - 八女郡黒木町・立花町・矢部村・星野村を編入。
2012年(平成24年)7月14日 - 九州北部豪雨により、星野村、黒木町を中心に甚大な被害を受ける。
2018年(平成28年)11月 - 八女上陽まつり(全日本きんま選手権)が開幕。
2024年(令和6年)5月7日 - 市役所新庁舎に移転。
筑後市、広川町との任意合併協議会を設置して協議されたが、2004年に打ち切られる形で協議会は解散。2005年に上陽町と法定合併協議会を設置し、2006年10月1日に上陽町を編入した。
2007年11月5日、八女市と周辺4町村(黒木町、立花町、星野村、矢部村)の各議会は臨時議会を開き、八女市への編入合併を前提とした法定協議会の設置議案をそれぞれ可決。5市町村の首長らによる法定協で、合併新法期限前の2010年2月1日に合併することが議決された。この時点に於いて合併後の人口はおよそ7.1万人の見込み。面積はおよそ482.53km2(5市町村の単純合算)となり、北九州市(487.71km2)に匹敵する県内面積第2位の市となる。
2008年11月5日 上記編入合併が官報告示。
== 行政 ==
簑原悠太朗(1期目)
任期:2028年11月15日
定数:22人
任期:2023年5月9日
黒木、立花、上陽、矢部、星野(旧各町村役場)
『八女市歌』
作詞:岡本淳三、作曲:佐藤禎治
イメージソング『愛の棲む街』
作詞:安部俊幸、作曲:姫野達也、歌:THE ALWAYS
応援ソング『希望のふるさと』
作詞・作曲:ダニー馬場
八女市上陽町イメージソング『上陽マイホームタウン』
作詞・作曲:後藤悦次郎、歌:TSU-BA-SA
みどりちゃん
元々は合併した上陽町のマスコットキャラクターだった。
はちひめ
八女地区消防組合
八女消防署
立花分署
上陽分署
八女東消防署
星野分署
矢部分署
福岡県警察八女警察署
八女総合庁舎
八女県土整備事務所
南筑後保健福祉環境事務所分庁舎
農業総合試験場八女分場
県立ふれあいの家南筑後
八女公共職業安定所(ハローワーク八女)
八女労働基準監督署
福岡法務局八女支局
福岡地方裁判所八女支部
福岡家庭裁判所八女支部
八女簡易裁判所
福岡地方検察庁八女支部
福岡国税局八女税務署