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十和田市: 歴史

十和田市: 歴史

市名の由来は、十和田湖に因む。「十和田」は、アイヌ語で「岩の多い湖」を意味する「トーワタㇻ」が由来とされる。
もともとの十和田市の中心部一帯は三本木原と呼ばれる荒蕪の台地で、台地周辺に寒村が点在していた。荒漠たる原野の様子は、1785年(天明5年)にこの地を訪れた橘南谿の『東遊記』に記されており、吉田松陰が『東北遊日記』のなかで荒野であると評している。
開拓が始められたのは、1855年(安政2年)のときで、南部藩勘定奉行の職を辞して、「無益の荒野」に開拓構想とロマンを追い続けた、新渡戸稲造の祖父の新渡戸傳(にとべつとう)を中心に始められた。奥入瀬川から水を引く計画に着手し、延長1万1362 mのトンネル、陸堰を貫通して、安政6年(1859年)5月4日に人工河川稲生川(いなおいがわ)を完成させて引水に成功し、開拓の基礎ができた。さらに、傅の長男である新渡戸十次郎によって、市街地の開発が進められた。碁盤目状の都市計画は京都を模範としたもので、上杉流兵法に基づく設計と努力によって、現在のような市街地の形が作られていった。
明治期には稲吉地区に、渋沢栄一の三本木渋沢農場が開拓され、現在の福島県伊達市等からの入植者が自治を形成し、農業林業と牧畜業の経営を進めた。
1885年(明治18年)に陸軍が軍馬局出張所を設置(1896年(明治29年)に軍馬補充部三本木支部と改称)したことから、馬産が栄えた。同市の農事試験場(農林水産省黒石農事改良実験所藤坂試験地。後の青森県産業技術センター農林総合研究所藤坂稲作部。2019年4月に廃止)で開発され、1949年(昭和24年)から普及段階に移された稲の品種「藤坂5号」は非常に冷害に強く、やませが吹くために夏が冷涼なこの地域で急速に広まり、現在のような穀倉地帯になった。現在「藤坂5号」そのものはほとんど栽培されていないが、その遺伝子は多くの稲の品種に組み込まれている。2021年現在で栽培されている品種では、「ひとめぼれ」は「藤坂5号」の玄孫であり(父親の「初星」は「藤坂5号」の曾孫)、「あきたこまち」は来孫(父親の「奥羽292号」は「藤坂5号」の玄孫)である。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により上北郡三本木村、赤沼村、切田村が合併し、三本木村が発足。同年、のちに合併する藤坂村、四和村、大深内村が発足。
1902年1月(明治35年)- 青森歩兵第5連隊が八甲田山中で遭難する雪中行軍遭難事件が発生。行軍を完遂した弘前歩兵第31連隊の道案内は、現在の十和田市域の村の若い猟師7人が行った。
1910年(明治43年)9月1日 - 三本木村が町制施行。三本木町となる。
1922年(大正11年)9月5日 - 十和田鉄道開通。
1941年(昭和16年) - 三本木大火が発生。
1955年(昭和30年)
2月1日 - 上北郡三本木町、大深内村、藤坂村が合併して三本木市(さんぼんぎし)が誕生。
3月1日 - 上北郡四和村を三本木市に編入。
1956年(昭和31年)
9月5日 - 「三本木市民歌」および「三本木小唄」を制定。
10月10日 - 十和田湖に因んで十和田市に改称。
1968年(昭和43年)5月16日 - 十勝沖地震が発生。土砂崩れなどで甚大な被害を受ける。
1975年(昭和50年)10月14日 - 市民憲章(旧)および市民歌「花がみどりが」を制定。
1994年(平成6年)12月28日 - 三陸はるか沖地震が発生。
2001年(平成13年)12月13日 - 国道4号十和田バイパス全線開通。道の駅とわだ開業。
2005年(平成17年)1月1日 - (旧)十和田市、上北郡十和田湖町と新設合併して、新しい十和田市が発足。面積は689 km2、人口は68,355人(2006年9月30日)。
2007年(平成19年)11月30日 - 市民憲章(新)を採択、市木・市花を選定。
2008年(平成20年)
4月26日 - 十和田市現代美術館が開館。
12月25日 - 十和田湖面上の秋田県小坂町との市町境界が確定。湖面の6割(36.63 km2)が面積に算入されて市域が725.65 km2に拡大。
2010年(平成22年)12月4日 - のちに最寄駅となる東北新幹線(JR東日本)七戸十和田駅が、隣の七戸町に開業。
2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震が発生。十和田市では震度5弱を観測。
2012年(平成24年)
3月31日 - 上記の影響で、唯一の鉄道路線だった十和田観光電鉄線が廃止。
10月4日 - 計10市町村(十和田市、三沢市、野辺地町、七戸町、六戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、おいらせ町、秋田県小坂町)で上十三・十和田湖広域定住自立圏形成協定を締結。
2019年(平成31年/令和元年)
7月1日 - 市役所新庁舎の供用開始。

中心市街地がある三本木地区の開拓は、旧農林省によって、福島県西白河郡矢吹町、宮崎県児湯郡川南町とともに国営開拓事業の成功例として「日本三大開拓地」と称された。2002年からは3市町の間で交流事業が始まり、現在まで小学生の相互派遣などが行われている。

青森県十和田市の三本木原開拓地
宮崎県川南町を中心とする川南原開拓地
福島県矢吹町の矢吹ヶ原開拓地

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Quelle: Text: Wikipedia – „十和田市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: re-kuma, CC BY 3.0 – Wikimedia Commons