橋本市: 歴史
丘陵地から出土する遺構や遺物から、縄文時代にはヒトが住んでいたことが確認されている。そのような橋本市は高野街道と伊勢街道(大和街道)とが交差する交通の要衝に位置し、霊峰高野山への参詣口の1つとして機能してきた。
近世では徳川氏の力を得て街が拡張され、地方物産の集散地として商業中心地が形成された。この付近は陸上交通の要衝であっただけでなく、紀の川を利用した水運の陸揚げ場としても利用されたため、地方物産の集散地として機能した。また、従来行われてきた農業の副業として、養蚕や機織り機による織物作りが盛んとなり、後の繊維業の基盤となった。ただし、養蚕は次第に廃れていった。
1894年には町制を施行した。1900年11月に現在の和歌山線が開通し、1915年に現在の南海高野線が橋本駅まで開通するなど鉄道交通網の整備により、和歌山方面・奈良(現在の五條市、大和高田市、王寺町)方面や大阪方面と結ばれた。
1960年代後半の高度経済成長の頃に公共公益施設、道路等が順次整備された。1970年代に入ると大規模住宅開発が本格化し、人口は増加していった。ただし大阪などへの都心回帰の影響を受け、人口は2000年をピークに減少傾向にある。
1955年(昭和30年)1月1日 - 伊都郡橋本町・岸上村・山田村・紀見村・隅田村・学文路村が合併して橋本市が発足。
2006年(平成18年)3月1日 - 高野口町と合併し、改めて橋本市が発足。