Heimatgeschichte · Shirakawa ·

白河市: 歴史

白河市: 歴史

古代、白河は奥州の要として重要視され文献にも登場していた。それは陸奥国最大の面積を有していたこと、延喜式神名帳において建国の大祖神として奥州三ノ宮の一つに挙げられていたことからも要衝の地であったことが伺われる。
平安時代には能因法師が「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」と詠んでいる。能因法師以外にも「白河の関」を詠んだ歌は数多く、後年、松尾芭蕉はおくのほそ道の中でそれらの歌や散文をもとにして、白河到着時の情景を詠っている。下記は「おくのほそ道」(岩波文庫)よりの引用である。

心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ。「いかで都へ」と便求しも断也。中にも此関は三関の一にして、風ソウ(馬偏に躁の旁。騒と同字)の人心をとゞむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也。卯の花の白妙に、茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人冠を正し衣装を改し事など、清輔の筆にもとゞめ置れしとぞ。                  卯の花をかざしに関の晴着かな   曾良   
「おくのほそ道」では、有名な書き出しの部分にも「春立てる霞の空に白河の関越えんと…」とある。また、芭蕉に同行した河合曾良の随行日記には、おくのほそ道本文よりも詳しい記述があり、そこに記されている街並みや、宗祇もどしの逸話にまつわる碑が今も市内に残る。同随行日記は上掲岩波文庫版「おくのほそ道」に所載されている。

古代には白河の関が置かれ広くその名は知られていた。江戸時代、城主松平定信が候補地を比定して、現在公園として整備されている辺りを関跡としたのが有力とされている。
中世期には、小山氏の流れをくむ結城氏(白河結城氏)の所領となった。長く二つの結城家(白河氏と小峰氏)が比較的平和裏に所領を分割統治していたとされ、両家の居城が今も白川城(搦目城)、白河城として市内に残っている。伊達氏をもしのぐ力を有していたとされるが、戦国時代には両結城家による抗争が起こり、さらには佐竹氏の攻撃を受けるなどがあった。
江戸時代最初期、丹羽氏によって城下町が整備され、それ以降は、譜代中藩(一時期親藩)で老中を輩出した名門白河藩の城下町として栄えた。奥州街道(五街道の一つ)起点の地でもあった。
その後(榊原氏、諸松平氏、本多氏、阿部氏)親藩・譜代大名家が藩主として赴き、幕末には藩主阿部正外が江戸老中として諸外国との折衝役にあたる難局を担った。結局、阿部の神戸港開港の判断が攘夷派の反発を招くこととなり、棚倉藩へと移封され白河藩領は天領とされた。こうした藩不在という状況にもかかわらず、戊辰戦争において白河の地は東西両軍にとって要衝の地と目されたため、一大激戦地になるという悲劇を生むこととなった。
歴史遺産や市街の多くを消失したが、それまでの藩域は現在の岩瀬郡、須賀川市にまで及んでおり、県内では会津藩に次ぐ大藩であった。日本初の公園といわれる南湖公園の造営や日本最古の百科事典集古十種を編纂し寛政の改革を主導した松平定信は今日でも広く市民に親しまれている。定信は藩士の子弟のための藩校立教館と共に、庶民のための郷校 敷教舎も設置し、民衆に学問への道を開いた。
歌枕の聖地、洪水と称されるほど古来多くの和歌が都人などにも詠われ残されている。

1887年(明治20年)7月16日 - 東北本線の黒磯 - 郡山間が開通。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い西白河郡白河町が発足。
1944年(昭和19年)12月11日 - 鉄道・白棚線が廃止。代替として路線バスが運行開始される。
1949年(昭和24年)4月1日 - 大沼村と合併して市制を施行し、白河市が発足。
1952年(昭和27年) - 計量法の施行に伴い、同法に基づく計量特定市に指定される。
1954年(昭和29年)3月31日 - 白坂村を編入
1954年(昭和29年)10月1日 - 小田川村を編入
1955年(昭和30年)
3月1日 - 五箇村を編入
8月 - 表郷村の関辺地区及び旗宿地区を境界変更により編入。
1970年(昭和45年)4月1日 - 国道289号が制定。
1975年(昭和50年)4月1日 - 国道294号の栃木県芳賀郡益子町 - 福島県白河市 - 福島県会津若松市の区間が制定。
2000年(平成12年) - 計量特定市の指定を返上し、業務を県に移管。
2005年(平成17年)11月7日 - 旧白河市、西白河郡表郷村、大信村、東村の合体合併により、新市制の白河市が発足。同日、2代目市章を制定する。
2009年(平成21年)3月27日 - 中心市街地の活性化に関する法律に基づく「中心市街地活性化基本計画」認定。
2011年(平成23年)2月24日 - 地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律に基づく「歴史的風致維持向上計画」認定。
上記二計画がともに認定されたのは全国で六番目である。
2011年 (平成23年)3月11日 - 東日本大震災では市内各域で震度6弱ないし6強を記録。六反山(葉ノ木平)が崩落し、12名が犠牲となる。

変遷の年表

市制・町村制以前の変遷表

市制・町村制以後の変遷表

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Quelle: Text: Wikipedia – „白河市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Sengoku40, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons