大阪狭山市: 歴史
狭山の地名は河内国丹比郡(のち分割され丹南郡)の郷名に由来し東の羽曳野丘陵と西の河泉丘陵に挟まれた地形による。
1600年(慶長5年) - 北条氏盛が初代藩主となり、狭山藩が立藩される。
1616年(元和2年) - 丹南郡池尻村に狭山陣屋が設置される。
1987年(昭和62年)10月1日の市制施行は、大阪府下では1971年11月3日の交野市以来16年ぶりであった。市制施行にあたり、埼玉県に既に「狭山市」があったため「狭山市」を名乗ることは事実上不可能であったことから、事前に町民への新市名アンケートを行った。回答数(1374件)のうち最も多かったのは「河内狭山市」(329件)で、「さやま市」が二番目(121件)、「大阪狭山市」は三番目(117件)であったが、実際にはこの結果を無視して行政主導で「大阪狭山市」に決定した。
平成の大合併の際に、当時政令指定都市昇格を目指していた堺市(2006年に政令指定都市移行)と合併する動きも見られたが、2003年(平成15年)2月に市議会は合併協議会の設置請求を反対多数で否決した。
1873年(明治6年) - 丹南郡新町(通称:狭山新宿。狭山新町および半田新町)を池尻村に編入。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、丹南郡池尻村・半田村・東野村の区域をもって狭山村が発足。大字池尻に村役場を設置。
1896年(明治29年)4月1日 - 丹南郡狭山村の所属郡が南河内郡に変更。
1931年(昭和6年)6月16日 - 南河内郡狭山村が三都村と合併し、改めて狭山村が発足。
1935年(昭和10年)6月30日 - 集中豪雨により天野橋が流失。
1951年(昭和26年)4月1日 - 南河内郡狭山村が町制施行して狭山町となる。大字池尻に町役場を設置。
1973年(昭和48年) - 町役場の新庁舎(現・市庁舎)が完成。
1977年(昭和52年) - 町立公民館・図書館が完成する。
1985年(昭和60年) - 町立総合体育館完成。また、この年の国勢調査で狭山町の人口が5万人を突破。
1987年(昭和62年)10月1日 - 南河内郡狭山町が市制施行して大阪狭山市となる。大阪府下で35番目。ただし、法令上は狭山町を狭山市とし、これが先に名称を使用していた埼玉県狭山市と重複するため、狭山市の名称を即日で大阪狭山市に変更する手続きが取られた。
1997年(平成9年) - 第52回国民体育大会(なみはや国体)、成年男子バスケットボール大会が市内で開催される。
2001年(平成13年)3月 - 大阪府立狭山池博物館が開館する。
2001年(平成13年)6月1日 - 市内循環バスの運行が開始する。
2002年(平成14年)狭山池ダム化工事終了
2002年(平成14年)第1回 狭山池まつり 開催
2008年(平成20年)市マスコットキャラクター「さやりん」誕生
2009年(平成21年)南中学校円卓会議、第三中学校円卓会議 が設立
2010年(平成22年)自治基本条例施行
2010年(平成22年)狭山中学校円卓会議 が設立
2012年(平成24年)南河内地区9市と図書館の相互利用サービスを開始
2013年(平成25年)河南町・太子町・千早赤阪村と図書館の相互利用サービスを開始
2014年(平成26年)大阪府狭山池出土樋・重源狭山池改修碑が国の重要文化財に指定
2014年(平成26年)狭山池が国際かんがい排水委員会の「かんがい施設遺産」に登録
2015年(平成27年)狭山池が国の史跡に指定
2016年(平成28年)大阪狭山市駅前・金剛駅前に図書館資料の返却ポストを設置
2018年(平成30年)狭山駅前に図書館資料の返却ポストを設置
2020年(令和2年)堺市と図書館の相互利用サービスを開始
2022年(令和4年)市役所における図書館資料の予約受取サービスを開始