下松市: 歴史
1939年(昭和14年)11月3日 - 都濃郡下松町・久保村・末武南村・花岡村が合併して発足。県下7番目の市制施行。
1945年(昭和20年) - 下松空襲。太平洋戦争でアメリカ軍が行った無差別爆撃で250人以上の死傷者を出した。
1954年(昭和29年)11月1日 - 都濃郡米川村を編入。「下松市民歌」と「下松音頭」を制定。
1956年(昭和31年)4月9日 - 昭和天皇、香淳皇后が市内に行幸啓。東洋鋼鈑下松工場を視察。
1962年(昭和37年)4月1日 - 都濃郡都濃町の一部(大字中須南字滝ノ口)を編入。
推古天皇3年(595年)、鷲頭庄青柳浦の松の木に大星(北辰星ともいわれる)が降りてきて7日7晩輝き続け、「この地に百済の王子がやって来る」とのお告げがあった。その3年後、百済から聖王第3王子の琳聖太子が当地を訪れたという。この霊験に民衆が社を建てて大星を祭った。松に星が降ったことから「くだまつ(下松)」と言われる、との説がある。
他に、百済と交易する港の意味の「百済津」(くだらつ)に由来するという説もある。
下松市は隣接する旧徳山市や旧新南陽市、旧熊毛町、旧鹿野町との3市2町で合併協議会を構成し、協議を進めていた。
しかし、2000年の市長選挙で合併を推進してきた当時の現職河村憐次市長が落選し、新市長井川成正氏が合併に慎重な立場をとったことから、下松市における合併の機運は急速に冷め、合併期日を巡る下松市の主張が受け入れられず、合併協議会を脱退するに至った。
この方針は2004年の市長選挙で井川成正市長が、合併推進派の新人候補を大差で破り、再選を果たしたことにより、さらに固定化した。