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直方市: 歴史

直方市: 歴史

=== 市名の由来 ===
古くは真言宗の名刹東蓮寺があったので東蓮寺とも呼ばれたが、室町期に兵火で寺は焼失する。のち、懐良親王が城を築いて少弐氏と戦ったため“皇方(のうがた)”と呼ばれるようになったのが地名の起源と云う。

筑前国に属し、長崎街道に沿って城下町が形成された。1623年(元和9年)、福岡藩藩主であった黒田長政の四男、黒田高政 が福岡藩から分封されて妙見山(現: 多賀公園)に館を構え東蓮寺藩を起こす。第3代藩主・黒田長寛の時代の1675年(延宝3年)に藩名を直方藩と改称したが、1677年(延宝5年)に本家の福岡藩の跡継ぎがいなくなったことから長寛は福岡藩に移り、直方藩は消滅した。
その後1688年(元禄元年)に黒田長清が福岡藩から分封され再び直方藩を起こしたが、これも1720年(享保5年)に長清が没すると跡継ぎがいないことから福岡藩の領地となり廃藩となった。
廃藩後、直方の商人たちは長崎街道を、現在の市中心部を通るルートへ変更させることに成功し、廃藩後の窮地を脱することができた。

筑豊で石炭が見つかり、明治時代から昭和30年代までは石炭産業で栄え、筑豊地方の石炭の集積地と問屋的な機能の役割を果たすようになった。
市内には商工省九州炭鉱保安技術研究所がおかれたほか筑豊鉱山高等学校も設立された。これら炭鉱の採掘技術を支える施設は、1949年(昭和24年)の昭和天皇の戦後巡幸の際に視察先の一つとなった。
エネルギー革命により石炭産業は衰えるが、直方市内には大規模な炭鉱が少なく、人口の割に炭鉱労働者が多くなかったこともあって、筑豊の他の市町村に比べると影響は小さかった。また、北九州市に隣接する地の利を生かし住宅団地が造成され、筑豊地区の他の自治体が大きく人口を落とす中でも比較的人口を維持し続けた。
閉山後は市内に工業団地が造成されて製造業の進出が進み、産業構造の転換が進みつつある。
石炭産業の発展とともに石炭を輸送するため鉄道網が整備され、直方駅構内には操車場や機関区が置かれて多数の鉄道職員が勤務し、直方市は鉄道網の中枢としても栄えた。現在では規模は縮小したものの、JR九州の車両基地が直方市に設けられている。

1889年4月1日 - 町村制施行により、現在の市域にあたる鞍手郡直方町・福地村・下境村・頓野村・新入村・植木村が発足。
1900年3月14日 - 植木村が町制施行。植木町となる。
1926年11月1日 - 直方町・福地村・下境村・頓野村・新入村を廃し、その区域をもって新たに直方町を置く。
1931年1月1日 - 直方町が市制を施行。直方市となる。
1955年3月31日 - 植木町を編入。

※歴代市長

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Quelle: Text: Wikipedia – „直方市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: そらみみ (Soramimi), CC BY-SA 4.0 – Wikimedia Commons