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四條畷市: 歴史

四條畷市: 歴史

=== 紋章 ===
町章は1961年に田原村の編入合併を記念して2回にわたって公募で募集して同年12月に議会によって制定された。 市章は市制施行に合わせて住民意識の向上のために公募で募集し、募集した結果、「し」と畷の「ナ」を鳩に図案化したもので未来に向かって羽ばたく姿を意味して、1970年7月1日の市制施行の日に合わせて制定された。

市域は全域河内国讃良郡に属した。讃良郡における条里制では、生駒山地東麓の田原地区を除き、南野が六条、逢阪・清滝・中野・蔀屋が七条、岡山・砂が八条にあたる。岡山・砂は江戸時代初期に岡山・砂東・砂西に分村するまで北野と称していた。

1348年(正平3年/貞和4年) - 四條畷の戦い。
主戦場となった三条から五条は大東市域(四條村)だが、六条にあたる南野域(甲可村)には楠木正行や和田賢秀の墓が所在する。
1684年(貞享元年) - 讃良郡中野村から中野村逢阪郷が分村。
1706年(宝永3年) - 讃良郡中野村から中野村上郷が分村。
1871年(明治4年) - 讃良郡砂東村と砂西村が合併して砂村となる。
1882年(明治15年) - 讃良郡中野村逢阪郷が逢阪村、中野村上郷が清滝村にそれぞれ改称。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、讃良郡南野村・逢阪村・清滝村・中野村・蔀屋村・岡山村・砂村の区域をもって甲可村が発足。
1896年(明治29年)4月1日 - 讃良郡甲可村の所属郡が北河内郡に変更。
1925年(大正14年)7月1日 - 四條畷警察署が設置される。
1932年(昭和7年)4月1日 - 甲可村が改称して四條畷村となる。
1947年(昭和22年)7月1日 - 北河内郡四條畷村が町制施行して四條畷町となる。
1953年(昭和28年)5月1日 - 片町線忍ケ丘駅が開業する。
1959年(昭和34年)7月 - 上下水道が完成する。
1961年(昭和36年)
6月25日 - 北河内郡四條畷町が田原村を編入。
9月16日 - 第二室戸台風により被害を受け、同年9月18日に災害救助法の適用を受ける。
1963年(昭和38年) - 国道163号が開通する。
1964年(昭和39年)11月5日 - 役場の新庁舎が完成し、業務を開始する。
1966年(昭和41年)7月1日 - 水道局庁舎が完成する。
1967年(昭和42年)7月1日 - 四條畷町上下水道局が完成する。
1969年(昭和44年)5月20日 - 田原地区がこれまで都市計画区域に非指定されていたが、建設省によって指定される。
地方自治法の一部改正により、3万人以上の人口を擁していれば市制施行が可能となったため、当自治体では3万人以上の人口を擁していることから、市制施行が可能となった。すでに、大阪市のベッドタウンとなり、急激な人口増加をしたことから、行政の質の向上を目的として早急な市制施行を目標とした。1970年5月26日に当町で議会臨時会を開催し、同年6月20日に官報告示をし、同年7月1日に四條畷町から四條畷市へと市制を施行した。

1970年代

1970年(昭和45年)
7月1日 - 北河内郡四條畷町が市制施行して四條畷市となる(泉南市と同日)。大阪府下32番目の市となり、市制施行当時は人口35,833人であった。同時に市章を制定する。
9月 - 市の木・市の花を制定する。
1971年(昭和46年)
6月 - 大阪府営清滝団地が完成する。
7月1日 - 四條畷市消防本部が完成する。
1975年(昭和50年)
3月 - 生活環境条例を制定する。
11月2日 - 市民憲章を制定する。
1976年(昭和51年)4月1日 - 四條畷市立老人福祉センターが開所する。
1979年(昭和54年)10月 - 片町線が四条畷駅から長尾駅まで複線化する。
1980年代

1980年(昭和55年)10月 - 市制施行10周年記念式典を開催する。
1983年(昭和58年)4月1日 - 大阪府立四條畷北高等学校が開校する。
1984年(昭和59年)
3月23日 - 非核平和都市・青少年健全育成都市を宣言する。
10月 - 田原ニュータウンが起工する。
1985年(昭和60年)11月15日 - 四條畷市立歴史民俗資料館が開館する。
1986年(昭和61年)3月25日 - 健康づくり都市を宣言する。
1987年(昭和62年)10月1日 - 大阪電気通信大学四條畷学舎が開校する。
1990年代

1990年(平成2年)
5月 - 国道163号清滝トンネルが開通する。
5月11日 - パークヒルズ田原が街びらきする。
7月1日 - 四條畷市立野外活動センターが開園。市歌「いま ここに」を制定する。
1991年(平成3年)4月1日 - 四條畷市立田原中学校が開校する。
1993年(平成5年)
4月1日 - グリーンホール田原が開館する。
12月21日 - 人権擁護都市を宣言する。
1995年(平成7年)
4月1日 - 四條畷市立市民総合体育館(サン・アリーナ25)が開所する。
7月1日 - 市制25周年を記念して三重県紀伊長島町(現:紀北町)と友好都市提携を宣言する。
10月1日 - ふれあいの森が開園する。
1999年(平成11年) - 当市と守口市・門真市の3市でくすのき広域連合を設立する。
2000年代

2002年(平成14年)
2月14日 - 阪奈サナトリウム駐車場建設中に日本最古のキリシタン墓碑が発見される。
7月23日 - 同市発注の学校給食センター新築工事をめぐる入札妨害事件で、森本稔市長が300万円の現金を受け取ったとして警察に逮捕される。
2007年(平成19年)3月31日 - 当市と寝屋川市・枚方市・交野市で北河内4市リサイクル施設組合を開設する。
2008年(平成20年)2月29日 - 2007年12月からの調査で教育委員会で、文部科学省が負担する自治体への委託費用の委託費について、最低でも685万円の使途不明金があることが明らかになる。この問題の責任を取り、当時の教育長が26日に辞表を提出。
2010年(平成22年)
3月20日 - 第二京阪道路が開通する。
3月31日 - 大阪府立四條畷北高等学校が閉校する。
2011年(平成23年)3月20日 - 男女共同参画都市を宣言をする。
2014年(平成26年) - 大東市と消防機能を合併し大東・四條畷消防組合設立。本部は大東市。

2008年(平成20年)四条畷市イメージキャラクター「くっすん」

市の固有名詞としては、四條畷村以来一貫して「四條畷」と表記するのが正式である。「条」は「條」の略字であるが、戦後「条」が当用漢字(現・常用漢字)に指定されたため、「四条畷」と表記されることがある。
現在でも新聞や道路標識などでは「四条畷市」と書かれることがあり、2003年度末までは四條畷市内の郵便局は「四条畷」表記だった(現在は「四條畷」表記となっている)。
JR西日本の四条畷駅は「条」の字を使っている。1895年に北河内郡四条村に開業した当初は、四条畷駅および所在地の四条村(のち町制を施行して四条町)ともに、「條」の字を使っていた。しかし、四条町は1956年の町村合併によって大東市となり廃止され、当時の国鉄が当用漢字の使用を推進していたこともあって、「条」の字を使うようになった。四條畷市はJR西日本に駅名の変更を申し入れているが、JR西日本側が「駅名変更は地元からの要望で行うが費用は自治体の全額負担」としており、さらに費用は数億円かかるため市側での負担が困難な状態なことから、現在も駅名の変更はされていない。
一方、四条畷駅と同様に大東市に所在する四條畷警察署は「條」の字を使っている。これは1978年に現在地へ移転するまで四條畷市内に庁舎があった名残で、移転後も変更されることなく現在に至る。
2003年の大阪府議会において、四條畷の表記に関する条例が可決された。大阪府庁ホームページ 大阪府議会だよりNo.119。四條畷市及び大阪府は、表記について次のように定義している。四條畷市役所ホームページ 四條畷市の、「じょう」の漢字について
以上の歴史的経緯から、四條畷市・大阪府の地方自治体は、官公庁関連の施設に関しては「條」を使用し、民間施設に関しては「条」を使用している。
奈良県五條市にも、四條畷市と類似の表記問題がある。 …

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Quelle: Text: Wikipedia – „四條畷市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Tokumeigakarinoaoshima, CC BY-SA 4.0 – Wikimedia Commons