羽村市: 歴史
多摩川の河岸段丘上には数多くの考古遺跡が分布し、市域でも縄文時代中期の山根坂上遺跡をはじめとする中期集落遺跡が分布している。弥生時代の遺跡は見られず、古墳時代も後期の遺物がわずかに出土しているのみ。
律令制下では武蔵国多摩郡に属し、中世前期に至り三田氏の支配する杣保長淵郷に比定される。戦国期には相模国の後北条氏が関東へ進出し三田氏を滅ぼし、市域も後北条領国に含まれ北条氏照領が置かれている。
近世を通じて3か村が存在する。生業は市域の大半で畑作が主軸で、多摩川流域の一部地域で米麦栽培が行われる。武蔵野台地では永安2年(1653年)には玉川上水が開削され本格な新田開発が行われるが、羽村取水口が設置され水元の村となった市域には羽村堰陣屋が設置され、江戸表からの出役人が交代で勤務し、地元百姓も水番人を務め水質などを管理した。天明4年(1784年)には武州村山騒動が発生する。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、羽村(はねむら)、五ノ神村及び川崎村の区域をもって、神奈川県西多摩郡西多摩村(にしたまむら)が発足する。
1893年(明治26年)4月1日 - 西多摩郡、南多摩郡及び北多摩郡の区域が東京府(現在の東京都)に編入することにより、東京府西多摩郡西多摩村になる。
1894年(明治27年)11月19日 - 青梅鉄道(現在のJR青梅線)が開業。
1943年(昭和18年)7月1日 - 東京府の都制施行により、東京都西多摩郡西多摩村となる。
1956年(昭和31年)10月1日 - 西多摩村は町制施行、即日名称を変更して西多摩郡羽村町(はむらまち)となる。
1991年(平成3年)11月1日 - 羽村町は市制施行し羽村市となる。
== 人口 ==
2005年の夜間人口は56,452人である。市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は55,966人で昼は夜の0.991倍の人口となり、昼夜間人口比が均衡している。
通勤者・通学者で見ると市内から市外へ出る通勤者17,293人、市外から市内へ入る通勤者は18,392人。学生では市内から市外に出る通学生は2,447人、市外から市内へ入る通学生は862人である。なお、国勢調査では年齢不詳の者が東京都だけで16万人おり、この項の昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に若干の誤差は生じる。