南相馬市: 歴史
=== 近世以前 ===
縄文時代前期中葉から中期末(約5500 - 約4000年前):浦尻貝塚の形成期。
古墳時代前期:現在の南相馬市原町区内にあたる地域に桜井古墳群が築造される。
伝・大同元年(806年):陸奥国行方郡にある文殊ヶ嶽の山頂に高倉文殊堂が建立される(のち、麓の高倉村(現・原町区高倉)に移される)。
嘉暦元年(1326年):千葉一族の相馬重胤らが陸奥国行方郡に下向。小高城(在・小高区小高)を築いて居城とし、勢力を拡大。陸奥相馬氏の祖となる。
建武3年(1336年):北畠顕家率いる南朝勢に攻められ、北朝方の陸奥相馬氏は大敗。一族の多くが討ち死にするなか、小高城も落城する。
建武4年(1337年):帰国した相馬親胤が北畠顕家を破って自領を旧に復し、小高城も奪還する。
天正17年6月5日(1589年7月17日):伊達政宗が摺上原の戦いで蘆名義広に大勝し、南奥州に覇を唱える。陸奥相馬氏本領はこれにより、伊達氏と直接対峙することとなる。
慶長2年5月(1597年6月):相馬義胤が、280年間陸奥相馬氏の居城であった小高城を離れ、北に位置する牛越城(在・原町区牛越)を修築して入城する。
慶長6年(1601年):徳川家康の命を受けた伊達政宗が上杉領(上杉景勝)へ侵攻する際、相馬勢は伊達勢と連携する(これが所領安堵につながったとされる)。
慶長7年10月(1602年11月):相馬利胤が本多正信や伊達政宗の取り成しを介して徳川家康から陸奥相馬氏の本領安堵を勝ち取り、これをもって相馬藩(相馬中村藩、中村藩)が成立する。
慶長16年12月(1611年12月):相馬利胤が中村城(相馬中村城。在・相馬市中村)を修築して当主居城(藩庁)とし、小高城を廃城とする。
承応元年(1652年)- 延宝元年(1673年):相馬忠胤治世下のこの頃、忠胤によって年中行事「相馬野馬追」に講武的色彩が加えられ、現在まで続く形式が確立される。
天明2年(1782年)- 8年(1788年):陸奥国全土を中心に天明の大飢饉が起こり、中村藩(相馬藩)も被害甚大。多くの領民が餓死あるいは逃散した。
文化10年(1813年)- 弘化2年(1845年) : 中村藩が移民導入政策をとり、越中国礪波郡を中心とする北陸地方などから1万人前後が入植。水田と畑地を合わせて3万石余りの土地が開発された。
明治元年12月7日(1869年1月19日):陸奥国が4分立し、当市域は磐城国に属することとなる。
明治4年7月14日(1871年8月29日):廃藩置県によって中村藩(相馬藩)が消滅し、磐城国に中村県が成立(当市域が所属)。cf. 府藩県三治制#廃藩置県当日に存在した藩。
同年11月(1871年12月):磐城国のほぼ全域が磐前県(いわさきけん)に統合される(当市域が所属)。
1872年(明治5年):野馬原の野馬が全て狩り獲られてしまい、相馬野馬追が実施不可能となる。
1876年(明治9年)8月21日:第2次府県統合により、福島県(旧・二本松県)、若松県、磐前県が合併して、新生の福島県が成立(当市域が所属)。
1878年(明治11年)7月1日:相馬太田神社(在・原町区)などが相馬野馬追の再興に尽力し、内務省から開催の認可を得る。
1898年(明治31年)4月3日:原町(原町市本町(もとまち)の前身。現・南相馬市原町区本町。cf. )で日本鉄道磐城線(JR常磐線の前身路線)原ノ町駅が、鹿島村(現・鹿島区)で同じく鹿島駅が開業。
1898年(明治31年)5月11日:小高町(現・小高区)で日本鉄道磐城線(現・JR常磐線)小高駅が、原町(現・原町区)で同じく磐城太田駅(開業時駅名:高駅)が開業。
1921年(大正10年)7月:原町(現・原町区)に原町無線塔が完成し、磐城無線電信局原町送信所が設置される。
1923年(大正12年)9月1日:磐城無線電信局原町送信所が関東大震災の第一報を無線通信によって世界中に打電。
1929年(昭和4年)2月25日:鹿島町で大規模な山火事が発生し、16.9キロ平方メートルの山林が焼失。
1930年(昭和5年)7月8日:小高町(現・小高区)にある大悲山の石仏が国の史跡に指定される。
1931年(昭和6年) : 南相馬市立総合病院の前身、原町実費診療所開業。
1937年(昭和12年):原町(現・原町区本町)の事業として、新田川水系野手上川流域にある???村風兼(現・相馬郡飯舘村風兼)で、風兼ダム(cf. 飯舘村#河川。型式:アースダム)が竣工。
1947年(昭和22年)8月6日:東北巡幸(昭和天皇の戦後巡幸)に向かう昭和天皇のお召し列車が原ノ町駅に停車。駅前奉迎が行われる。
1948年(昭和23年)8月10日:小高町(現・小高区)で日本鉄道磐城線(現・JR常磐線)桃内駅が開業。
1955年(昭和30年):原町市(現・原町区)にある桜井古墳が、大塚初重率いる明治大学考古学研究室によって調査された結果、当時の知見で「日本列島で最も北に所在する、東北地方最大規模の前方後方墳である」とされた。
1956年(昭和31年)11月7日:桜井古墳が国の史跡に指定される。
1958年(昭和33年):建設途中の東京タワー(同年10月14日竣工)が、原町無線塔の高さを上回る。
1960年代末(昭和40年代前半):相馬郡小高町と双葉郡浪江町に跨る地域に、東北電力が原子力発電所の誘致を持ちかける。当時東北電力は女川原子力発電所の建設計画も進めており、宮城県女川町へ原発と付随する交付金や雇用などを取られてしまうという対抗心もあって小高町議会(当時)と浪江町議会は賛成したが、世に公害意識が芽生え始めた時期でもあり、長らく反対運動が続くことになる。1982年の雑誌対談で示された概要図では原子炉は4基となっていた(のちの浪江・小高原子力発電所計画)。
1982年(昭和57年)3月:老朽化のため、原町無線塔が解体される。
1982年(昭和57年)10月:解体された原町無線塔のミニチュア記念塔である憶・原町無線塔が完成。
1983年(昭和58年):範囲確認調査の結果、桜井古墳に、古墳の周囲に掘られた堀(周濠)が確認される。
1988年(昭和63年)6月13日:桜井古墳の、周濠を含む地域の遺構が、国の史跡に指定(追加指定)される。
1994年(平成6年):原町市が「桜井古墳保全整備事業」に着手。
1997年(平成9年):原町市および鹿島町(現・原町区および鹿島区)で原町火力発電所が運転開始。
1998年(平成10年)4月17日:常磐自動車道の南相馬インターチェンジ、着工。
2003年(平成15年)5月18日:原町市が桜井古墳を史跡公園(福島県初の本格的史跡公園)として整備し、開園する。
2004年(平成16年):北泉海岸でサーフィンのアマチュア全国大会開催。
2005年(平成17年):北泉海岸でサーフィンの東日本プロ大会開催。
2006年(平成18年)10月4〜8日:北泉海岸で世界プロサーフィン連盟公認の「ワールド・クオリファイ・シリーズ」が開催される。
2006年(平成18年):小高区の浦尻貝塚が国の史跡に指定される。
2007年(平成19年)10月4日:磐城無線電信局原町送信所跡地に道の駅南相馬が開業。
2009年(平成21年):原町無線塔跡地に花時計(無線塔跡花時計)が設置される。
2011年(平成23年)3月11日:東日本大震災が発生し、南相馬市も被害甚大(※節を改めて詳述)。
2012年(平成24年)4月8日:常磐自動車道 南相馬IC - 相馬IC間開通。
2014年(平成26年)12月6日:常磐自動車道 浪江IC - 南相馬IC間開通。
2018年(平成30年)
3月18日:福島県道12号原町川俣線 八木沢トンネル開通。
6月10日:原町区雫地区で第69回全国植樹祭が開催される。
2021年(令和3年)4月24日:東日本大震災について伝承するメモリアルパークが完成。
2024年(令和6年)1月12日:東北大学と創造的復興などについての包括連携協定を締結。 …