宮古島市: 歴史
宮古島市成立前の詳細な沿革は、宮古島#歴史、平良市#歴史、伊良部町#歴史、上野村 (沖縄県)#歴史、城辺町 (沖縄県)#歴史、下地町参照。
明治末期までの間切制時代は平良間切・下地間切・砂川間切の3つに分かれていた。
1908年4月1日 - 島嶼町村制施行に伴い、平良・下地・砂川の3間切と多良間島をもって平良村、下地村、城辺村、伊良部村の4村が成立。
1913年2月14日 - 平良村多良間島(水納島も含む)が多良間村として分村。
1924年2月1日 - 平良村が町制施行、平良町となる。
1940年6月30日 - 平良港から渡口の浜へ向かう、 伊良部村有船「共栄丸」が、強風に煽られ沈没。73名が犠牲になる。
1947年
2月1日 - 城辺村が町制施行、城辺町となる。
3月7日 - 平良町が市制施行、平良市となる。
1948年8月1日 - 下地村東部が上野村として分立。
1949年1月1日 - 下地村と上野村の一部が町制施行、下地町となる。
1956年 - 宮古空港が開港。
1959年9月 - 宮古島台風(台風14号)が宮古島を通過。同島で最低気圧908.1ミリバール(ヘクトパスカル)を観測。
1961年 - 農業を目的として大神島から集団離島。大神島の人口は半減した。
1964年 - 琉球放送が平良市久貝にラジオの中継放送局を開局(1150kHz、2005年にFM中継局に転換したため廃止)。
1966年9月 - 第2宮古島台風(台風18号)が宮古島を通過。同島で日本での観測史上最大の最大瞬間風速85.3m/sを観測。
1967年12月22日 - 沖縄放送協会(OHK・現在のNHK沖縄放送局)が宮古島をはじめ先島諸島で沖縄本島に先駆けてテレビ放送を開始(KSDY・US9ch、復帰後1976年まではNHK宮古総合テレビジョンとなる。なお沖縄本島では1年遅れて放送が開始された)。
1968年9月 - 第3宮古島台風(台風16号)が宮古島を通過。死傷者を出す大きな被害をもたらす。
1972年
6月 - NHKがラジオ第1と第2の放送を沖縄本島と同時に開始。
12月31日 - 2年前に島尻海岸で住民が拾っていた石を、地質学の専門家らが「古代象の歯の化石」と確認したと報道される。
1975年4月 - 宮古島の県道平良与那覇線(西里 - 上地)、城辺下地線(現在の沖縄県道246号城辺下地線とは別路線)、平良保良線(福里 - 保良)が国道に昇格し国道390号となる。同島では初の国道となる。
1976年12月22日 - NHKテレビの沖縄本島・日本本土との同時放送が開始(同時に教育テレビ・FM放送も開始される)。また電話も沖縄本島や日本本土と即時通話可能になった。
1978年
5月 - 宮古島初のケーブルテレビ局である宮古島有線テレビ(現在の宮古テレビ)が開局。
12月 - 宮古空港 - 那覇空港間にジェット機(ボーイング737)が就航。
1982年4月1日 - 伊良部村が町制施行、伊良部町となる。
1985年4月 - 第1回宮古島トライアスロン大会開催。
1989年7月 - 宮古空港と初の本土直行便となる東京(羽田空港)便が就航。
1992年
1月 - 宮古島 - 池間島間に池間大橋が開通。
2月 - 宮古島で初のプロ野球オープン戦開催(中日-大洋戦)。
1993年
2月 - オリックス・ブルーウェーブが宮古島初のプロ野球キャンプを実施。
12月16日 - 琉球放送と沖縄テレビが宮古島など先島諸島でテレビ放送開始。
1995年2月 - 宮古島 - 来間島間に来間大橋開通(農道橋として建設され、日本一長い農道橋となる)。
2001年7月 - 宮古地区全6市町村で宮古地区市町村合併研究会発足。
2002年
4月 - 宮古地区合併協議会発足。
7月20日 - 宮古島初のコミュニティFMとなるエフエムみやこ開局。
2003年9月 - 台風14号が宮古島を通過。
2005年10月1日 - 平良市・城辺町・下地町・上野村・伊良部町の合併により宮古島市が発足。
2008年 - 環境保全と産業振興の両立を目指して「エコアイランド宮古島宣言」を行う。
2009年 - 政府により環境モデル都市に認定。
2012年10月 - NHK連続テレビ小説『純と愛』の舞台となる。
2014年7月7日 - 台風8号による暴風・波浪特別警報が発表される。
2015年1月31日 - 宮古島 - 伊良部島間に伊良部大橋が開通。
2019年3月26日 - 陸上自衛隊宮古島駐屯地が開庁
2024年4月25日 - 午前3時すぎから大規模な停電。市内のほぼ全戸にあたる約2万5500戸に影響が及んだ。
2026年3月17日 - 午後2時半ごろに停電が発生。一時全域にあたる2万6000戸余りが停電したが、午後7時すぎまでにすべて復旧した。