Heimatgeschichte · Nichinan ·

日南市: 歴史

日南市: 歴史

戦国期は、天然の良港油津(あぶらつ)港を扼す飫肥城を巡って、戦国大名の伊東氏と大隅国・日向国の守護職の島津氏の100年以上にわたる国盗りの舞台となった。江戸時代は一貫して伊東氏飫肥藩5万7千石の城下町として繁栄した。
市としての歴史は1950年1月1日の南那珂郡飫肥町、吾田町、油津町および東郷村の4町村の合併から始まる。この合併協議においては、城下町としての歴史と文化を色濃く残す商業の中心・飫肥町と、古くから漁師町として知られ、漁業や海運業を中心とした活気ある港町・油津町の、双方の住民の意識や性格の相違、庁舎設置の主導権争いなどが原因で何度も協議が決裂しそうになった。それでも協議を続け、新庁舎を両町の中間であり、新市の中央にある吾田町に置くなど、双方が歩み寄ったことでようやく調印できる段階にまでこぎつけた。しかし、新市名の協議で油津町は「油津市」、飫肥町は「飫肥市」を提案した事でまたしても両町が対立。再び協議の決裂が起こりかねない状況になった。その際、他にも「日向市」や「吾平津市」など様々な意見が出されたものの、結局古くから一部で用いられており、日向国(宮崎県の旧国名)、日本の「日」とその南にあるということで「南」の2文字を取って「日南市」に落ち着いた。つまり、この市名そのものが合併の苦難や当時の住民の志を象徴するものとなっている。なお、この合併は昭和の大合併のさきがけになったとされ、当時はまだ珍しかった市町村合併での成功例として参考とすべく多くの市町村が当地を視察に訪れたという。
その後、南那珂郡細田町および鵜戸村(1955年2月11日)、南那珂郡榎原村(一部は南郷町に編入)および酒谷村(1956年4月1日)の編入合併を経た。
平成の大合併の流れに沿い、2004年8月に住民発議により隣接する南那珂郡北郷町および南郷町と『日南市・北郷町・南郷町合併協議会』を設置し、合併の検討を進めた。しかし、両町の住民投票による賛成過半数を受け合併の調印まで行なったにもかかわらず、北郷町議会が合併議案を否決したため計画が頓挫し、2005年5月に協議会を解散した。その後、両町の議会が改選され合併賛成派が多数を占めたことや北郷町の町長選挙で合併賛成派の候補が当選したことなどから、2007年9月28日に合併協議会を再設置。2009年3月30日に合併し、(新)日南市を設置する。新たな日南市の区域は、江戸時代の飫肥藩から清武郷(おおむね宮崎市南部にあたる地域。清武町#近世を参照)を除いた範囲とほぼ同じとなっている。

1889年4月1日 - 町村制施行に伴い南那珂郡に以下の町村が成立。
油津町 ← 油津町
飫肥村 ← 楠原村, 吉野方村, 板敷村, 本町, 今町
吾田村 ← 星倉村, 隈谷村, 戸高村, 平野村, 西弁分村
東郷村 ← 益安村, 松永村, 東弁分村, 平山村, 風田村, 殿所村
細田村 ← 毛吉田村, 萩之嶺村, 上方村, 下方村, 塚田村
鵜戸村 ← 宮浦村, 伊比井村, 富土村
榎原村 ← 大窪村, 橋之口村
酒谷村 ← 酒谷村
南郷村 ← 津屋野村, 谷之口村, 脇本村, 中村, 潟上村, 贄波村
北郷村 ← 北河内村, 郷之原村, 大藤村
1900年1月1日 - 飫肥村が町制施行して飫肥町となる。
1940年12月1日 - 南郷村が町制施行して南郷町となる。
1941年1月1日 - 細田村が町制施行して細田町となる。
1948年5月3日 - 吾田村が町制施行して吾田町となる。
1950年1月1日 - 油津町,飫肥町,吾田町,東郷村が合併して日南市が成立。
1955年2月11日 - 細田町,鵜戸村を編入。
1956年4月1日 - 榎原村の一部,酒谷村を編入。
榎原村の残部は南郷町へ編入。
1959年1月1日 - 北郷村が町制施行して北郷町となる。
2009年3月30日 - 北郷町,南郷町と合併。改めて日南市となる。同時に南那珂郡が消滅する。
2017年4月24日 - 国の耐震基準を満たさない市役所庁舎の諸施設(当時の本庁舎など)からの機能移転作業が完了。
2024年8月8日 - 日向灘地震が発生し市内で最大震度となる震度6弱を観測。市内で負傷者3人、建物の一部損壊、道路被害などが発生。また、同日には南海トラフ地震臨時情報が初めて発出。避難所が開設された。

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Quelle: Text: Wikipedia – „日南市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: z tanuki, CC BY 3.0 – Wikimedia Commons