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幸手市: 歴史

幸手市: 歴史

幸手市およびその前身の幸手町と合併する以前の各町村の歴史については、それぞれの項目を参照。

(明治合併:幸手宿、内国府間村)
(昭和合併:幸手町、行幸村、上高野村、吉田村、権現堂川村、桜田村、八代村、豊岡村)

古代から中世までは下総国葛飾郡に属す。
幸手の地名はこの地に日本武尊が東征に際して「薩手が島」に上陸、田宮の雷電神社に農神を祭ったという言い伝えが残っており、「幸手」の市名はその薩手(さって)に由来すると伝えられている。
鎌倉時代から江戸時代の初めにかけては古河公方の家臣一色氏の領地であった。
江戸時代には、大部分が幕府の支配(天領)となり、関宿向川岸・槙野地は下総国関宿領となった。五街道が整備され、日光街道の宿場町(幸手宿)として現在の市街地の基盤が形成される。

==== 中世・近世 ====
1319年(元応元年) - 一色氏が三河国幡頭郡一色より下総国田宮荘に入部する。
1399年(応永6年) - 一色直兼が田宮荘に入部する。
1498年(明応7年) - 田宮の浪寄に石堂四郎義房と大安養康が宝持寺を建立する。
1526年(大永6年)2月15日 - 宝持寺開山の季雲が寂す。
1547年(天文18年)4月25日 - 宝持寺第二世の大安養康が102歳で寂す。
1554年(天文23年)10月 - 北条氏康が古河公方足利晴氏を攻め、北条軍により田宮城および天神島砦が落城する。
1555年(天文24年) - 一色直勝が北条氏康より田宮荘の本領に安堵される。
1590年(天正18年) - 一色直朝と子の義直が田宮城を退去し、下総国大淵寺に隠居する。義直の弟であり取手市小文間城主であった政義は川崎(上川崎)に隠棲し渡辺と改姓し土着する。北条氏を離れ豊臣秀吉方に臣従する。
1591年(天正19年)12月 - 関東に入国した徳川家康は一色義直を御家人とし、武州幸手5160石を賜る。現在の幸手市中一丁目6番13号に陣屋(幸手陣屋、一色氏陣屋。現在は一色陣屋稲荷)を構える。
1592年(文禄元年)1月23日 - 徳川家康が葛飾郡幸手の不動院と浦和・中尾の玉林坊に年中行事職を安緒する。
1600年以前 - 一色義直、隠居し、嫡子の一色照直が家督と領地を相続。
1601年(慶長6年) - 一色照直は下総国相馬郡木野崎(千葉県野田市木野崎)を領することとなり、一色氏は幸手を離れた。
1616年(元和2年)3月1日 - 一色政義(渡部政義。義直弟。)が埼玉県久喜市鷲宮町上川崎の渡辺家にて没す。以降名主家として存続。
1641年(寛永18年) - 権現堂川が利根川に疏通する。
1642年(寛永19年)4月21日 - 徳川家光は日光社参の帰路に幸手宿の正福寺にて昼食休憩を行う。
1648年(慶安元年) - 幸手宿の宝持寺と聖福寺がそれぞれ寺領10石を付せられる。
1651年(慶安4年)4月10日 - 幸手宿の御憩息所をはじめとする宿場の3分の2を焼失し、伊奈忠治が注進する。
1660年(万治3年) - 伊奈忠克により葛西用水路が開削・整備され、琵琶溜井などが形成される。
1780年(安永9年)6月 - 大雨による増水で利根川・荒川などが決壊し水害が起こる。この年に幸手宿をはじめ栗橋宿・杉戸宿・粕壁宿・草加宿は水難による修理費として幕府に拝借金を請願する。
1784年(天明4年) - 葛飾郡幸手宿の名主などによる窮民賑救を称し、正福寺境内に「義賑窺餓の碑」が建立される。
1795年(寛政7年) - 幸手の知久文左衛門が幕府により権現堂川・江戸川の水防見廻役に命じられる。
1809年(文化6年)8月 - 国学者の橘守部が葛飾郡幸手宿に移住する。
1826年(文政9年)6月 - 権現堂川筋の大修築が幕府により行われる。
1833年(天保4年)8月28日 - 葛飾郡幸手宿に米穀屋の打ちこわしが起きる。

1868年(明治元年)8月 - 幸手宿をはじめ、ほぼ今日の市域が下総知県事の所轄となる。
1869年(明治2年)1月 - 下総知県より葛飾県となる。
1871年(明治4年)11月 - 葛飾県・小菅県の両県が廃止となり、埼玉県となる。
1872年(明治5年)
埼玉県の出張所が幸手・行田・越ヶ谷・岩槻に置かれる。
2月1日 - 幸手学校が創立される。
4月9日 - 庄屋・名主・年寄などを廃止し、正戸長・副戸長が置かれる。
7月1日 - 幸手郵便局が置かれる。
1873年(明治6年)
3月28日 - 日光御成街道の足立郡川口町より幸手町に至る区間において並木を伐採し、道路修築費に充てる。
知久文蔵宅に幸手学校が設立される。
1875年(明治8年)6月 - 知久文題宅より担景寺に幸手学校が移転する。
1876年(明治9年) - 権現堂川堤が改修され、行幸堤となる。
1877年(明治10年) - 幸手警察署が置かれる。
1881年(明治14年) - 7月30日および31日に明治天皇東北巡りで幸手に宿泊する。
1886年(明治19年) - 幸手学校が尋常小学幸手学校となる。
1888年(明治21年) - 久喜幸手道(久喜新道、現:県道幸手久喜線)が開通する。
1889年(明治22年)
4月1日、町村制の施行に伴い、幸手宿・内国府間村が合併し北葛飾郡幸手町となる(現在の中・北・西・南・東・緑台・大字幸手・大字内国府間の地域)。
6月、幸手町外六ヶ村組合立幸手高等小学校を開設する。
1890年(明治23年)6月 - 幸手町に電信分局が開設される。
1891年(明治24年) - 幸手町に幸手商業会が設立される。
1894年(明治27年) - 電報が開始される。
1895年(明治28年)3月30日 - 千葉県東葛飾郡関宿町大字向河岸及び大字向下河岸が分離して中葛飾郡豊岡(とよおか)村に編入され、豊岡村大字西関宿となる。
1896年(明治29年)
3月24日 - 粕壁銀行(現・埼玉りそな銀行)幸手支店開設。
3月29日 - 中葛飾郡が北葛飾郡に統合される。
1899年(明治32年) - 大雨により権現堂川の堤防が決壊する。
1908年(明治41年)3月31日 - 幸手町外六ヶ村組合幸手農業学校の設置が認可され、幸手町大字幸手仲1391番地に開校する。
1910年(明治43年) - 関東大水害により大水が発生する。
1911年(明治44年) - 電話線開通。
1914年(大正3年) - 電燈が設けられる。
1917年(大正6年) - 北葛飾郡桜井村大字細野が分離し北葛飾郡吉田村に編入される。
1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災により被災する。 …

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Quelle: Text: Wikipedia – „幸手市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Ebiebi2, Public domain – Wikimedia Commons