Heimatgeschichte · Yamaga ·

山鹿市: 歴史

山鹿市: 歴史

=== 古代 ===
景行天皇の時代 - 山鹿灯籠の創始にまつわる伝説がある。
古墳時代 - 市内には5世紀~7世紀のものとみられる古墳が点在し、この時代に人々が住み着いていたことがわかる。
8世紀前半 - 「筑後風土記」に「肥後国山鹿郡荒爪山」との表現がみられる。これが「山鹿」の名の初出とされる。

12世紀中頃 - 山鹿温泉の発見により、温泉町としての性格を帯びる。
中世 - 菊池氏が地域一帯を支配するが、菊池氏の没落後、めまぐるしく変動する。
1587年 - 肥後の国衆一揆により戦乱に巻き込まれる。
物資の集散地として発展
中世期の山鹿は、各地の集落の産物の集散地域として、菊地川の港を有する市場と湯の町とが結びついた。今日に至る山鹿市(旧市)の骨格はおおむねこの時代に形成された。

加藤清正が山鹿を含む9郡の領主となり、加藤氏の治世により安定した領国支配となった。
16世紀 - 宿場町として発展した土地になる。
参勤交代の道となる「豊前街道」が整備され、熊本藩・人吉藩・薩摩藩がこの道を往来した。また、この頃温泉の整備も一段と進んだ。
18世紀 - 山鹿大橋(現在の国道の橋とは別)の完成により温泉地としてさらに賑わった。この頃、特産物である山鹿傘製作なども盛んになった。1763年(宝暦13年)の「山鹿湯町絵図」には町屋、寺院、茶屋等合わせて約500戸が描かれており、当時の繁栄ぶりがわかる。

明治以降、各種行政機関が立地し「地方行政の中心」としての位置づけが強まった。中心街には共同湯としてさくら湯が設置されるとともに、参勤交代路が国道3号となった。山鹿温泉大改築、山鹿鉄道の創立、八千代座の建築の3つを総称して山鹿の「明治の三大改革」とされる。

1870年(明治3年) - 温泉の大改築工事がされる。
1877年(明治10年) - 西南戦争において薩摩軍が山鹿市中心部(旧山鹿ホテル跡)に陣を構える(西南の役 山鹿口の戦い)。
1896年(明治29年) - 山鹿鉄道株式会社創立。山鹿-植木間の鉄道敷設免許状が下付されるが、1898年に会社解散。
1908年(明治41年) - 電話が通じる。熊本市に次いで熊本県内2番目であり、当時、遠方との連絡を要し財力も有した商家が多かったことがわかる。
1911年(明治44年) - 八千代座の開場。
1923年(大正12年) - 鹿本鉄道(のちの山鹿温泉鉄道)が開通。
太平洋戦争中 - 戦災も受けずに済んだことから、街の構造が現在に受け継がれている。

1954年(昭和29年)6月28日から6月30日 - 集中豪雨。市内一帯が浸水して孤立状態となる。
1960年(昭和35年) - 山鹿温泉鉄道休止(5年後の1965年に正式廃止)
1975年(昭和50年) - 中心部の再開発により共同湯のさくら湯取り壊し。破風のみ残し、再開発ビル(温泉プラザ山鹿)内で営業開始。
2009年(平成21年)11月 - 温泉プラザ山鹿が老朽化のため、同ビル内でのさくら湯を営業終了。
2012年(平成24年)10月 - 共同湯のさくら湯が営業再開。1973年の解体前の外観と1958年の改修前の内装に再生。
2020年(令和2年) - 全国的に新型コロナウイルス感染症の拡大。山鹿市内でも感染対策の一環として山鹿灯籠まつり(2021年、2022年も中止)など各種イベントが中止または縮小された。
2021年(令和3年) - 前年に引き続き新型コロナウイルス感染症対策として成人式などが中止されたほか、幼稚園、小・中学校の臨時休校が長期間にわたり行われた。

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Quelle: Text: Wikipedia – „山鹿市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Kohji Asakawa from Kumamoto, Japan, CC0 – Wikimedia Commons