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諏訪市: 歴史

諏訪市: 歴史

=== 古代 ===
市域には縄文・弥生時代からの考古遺跡が分布し、高原を中心に集落遺跡が分布している。下諏訪の和田峠を始めとする黒曜石による石器、また、縄文・弥生時代の土器の破片も出土している。

中世には諏訪郡の国人領主で諏訪大社上社の大祝家・諏訪氏によって治められる。

南北朝時代
南北朝時代の建武2年(1335年)には諏訪頼重・時継が、鎌倉幕府執権・北条高時の遺児である北条時行を擁して挙兵し、中先代の乱が発生した。頼重・時継は足利尊氏の攻勢により滅亡する。

戦国時代
戦国時代には諏訪頼満が分裂した諏訪一族を統一し、隣国である甲斐国の国人勢力と同調し甲斐国内へも侵攻する。
頼満の頃には甲斐守護・武田氏と和睦し婚姻同盟を結ぶ。頼満の孫にあたる諏訪頼重は天文10年(1541年)に甲斐武田氏、信濃村上氏に独断で関東管領の上杉憲政と和睦し所領を分割し、甲斐の武田晴信(信玄)は諏訪侵攻を行い、諏訪氏は一時滅亡した。
その後、諏訪地方は信濃侵攻を行う武田氏の領国となり、信濃中部の拠点として支配を受ける。
信玄四男の勝頼は頼重の外孫(女系の諏訪一族)に当たり、当初は高遠諏訪氏を継ぎ諏訪勝頼と称し、信玄没後に武田宗家を継承し当主となった。
天正10年(1582年)、武田氏の滅亡後に発生した天正壬午の乱において諏訪頼重の従弟である諏訪頼忠によって諏訪氏は再興され、その息子の諏訪頼水が1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いにおける功によって、徳川氏により高島藩に封じられている。

近世には高島藩領であった。

江戸時代
高島城を藩庁とする諏訪氏による統治が行われた。江戸時代に整備された甲州街道の終着の宿場町である下諏訪宿のひとつ手前の宿場として上諏訪宿が栄える。

明治時代
1871年(明治4年) - 廃藩置県により、高島県。後筑摩県に編入。
1875年(明治8年) - 高島城の天守閣以下大部分の建造物が破脚される。
1876年(明治9年) - 長野県編入。また、高島城が高島公園として一般に開放される。
1905年(明治38年)11月25日 - 国鉄(官設鉄道)上諏訪駅開業。上諏訪機関区設置。
昭和時代(戦前)
1941年(昭和16年)8月10日 - 諏訪郡上諏訪町・豊田村・四賀村が合併して長野県内で6番目、諏訪地域では岡谷市に次いで2番目に市制施行。諏訪市が誕生する。

昭和時代(戦後)
1955年(昭和30年)4月1日 - 諏訪郡中洲村・湖南村を編入。
1958年(昭和33年)7月1日 - 中洲新井地区の一部を茅野市に編入。
1962年(昭和37年)・1964年(昭和39年) - 上諏訪を挟む鉄道部分が電化され、機関車が淘汰され始める。上諏訪機関区は衰退へ。
1967年(昭和42年)7月9日 - 武津の民家裏の住宅造成地でがけ崩れ。民家2件が全壊、下敷きとなった5人が死亡、3人が重軽傷。
1970年(昭和45年) - 高島城の天守・櫓・門・塀を復元。
1972年(昭和47年)7月10日 - 四賀普門寺の赤津川で土石流(鉄砲水)が発生。4人死亡、2人重軽傷。
1977年(昭和52年)9月1日 - 四賀神戸地籍の一部を茅野市に編入。茅野市より新井地籍の一部を編入。
平成時代
1992年(平成4年)5月1日 - 飛地解消のため茅野市と境界変更。

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Quelle: Text: Wikipedia – „諏訪市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: photo: Qurren (talk) Taken with Canon IXY 10S, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons