Heimatgeschichte · Nanto ·

南砺市: 歴史

南砺市: 歴史

縄文時代の遺跡、東大寺墾田(砺波志留志)、源平の足跡(五箇山平家落人伝説、源氏谷の刀利集落と平家谷の臼中集落)、寺社や公家の荘園・南朝領であった痕跡、一向宗の流布と統治の痕跡(戦場、寺社、念仏場等)が各地に残る。特に中世は、権門体制から幕藩体制への過渡期であり、幕府の権威が弱く地侍や盗賊が勝手気侭で、戦乱による財政難から度重なる徳政令で金融も麻痺していた。その一方、本願寺関連の門前町(寺内町)だけは、大量のマネタリーベース(支那との貿易により獲得した安定した銭貨)があり、かつ規制緩和で自由な商売が出来、軍事組織もあったため治安も良く、徳政令からも免れ、経済的に繁栄していた。従って、安心した暮らしを求めて帰依する者が多かったと考えられ、経済発展に拍車がかかっていた。南砺市は金沢同様、守護大名富樫一族の内乱に巻き込まれる形で浄土真宗(一向宗)の自治が始まり、石山本願寺の財政基盤として機能していた。特に(旧井波町)瑞泉寺や(旧城端町)善徳寺周辺は門前町として一向宗統治の時代に始まり、後の藩政時代の南砺地区の経済・文化の中心地となる礎となる。加賀藩時代はそれら有力寺領は懐柔政策が施され触頭として統治に利用され始める(統治行政、農地開拓の為に、有力寺社や在郷の豪農や町方名家が加賀八家(奥村・本多・横山・村井・長氏〈長家〉・中川など)や藩主前田家一門も例外なく、聟養子、婿養子、非嫡子らと縁組を持った。また、江戸時代中期から後期には、武士階級の生活が破綻寸前となる一方で、非常に収益性の高い肥沃な土地を背景に持つ有力な百姓や商工業者がいた。加賀藩では武士の娘や家族は町百姓の世界との流動性が高く、南砺の絹織物業や麻布業といった工業・商業に従事する在郷商人や職人の奉公人となり、年季を終えた後に地元の商工業者の家系と婚姻を結んで世帯を持てた。その背景の上で、山間地区・山々でも十村役・山廻り役が機能した)。特に、農作物のみならず五箇山(旧平村、上平村、利賀村)で作られた生糸(それで城端を中心に絹織物産業が発達)、和紙、煙硝は加賀藩の重要生産物であった為、南砺地区は金沢城下と盛んに交流し、それに依る商業資本の旺盛と農村経済への浸透が南砺地域全体の経済産業を飛躍させ加賀藩を支え、寺社勢力の痕跡と共に旧街道の要所は今でも残る(尚、利賀村の名前の由来は前田利家である)。加えて、阿曽三右衛門の町立て願いに乗じて、加賀藩の改作法施行前後で農業生産力向上及び年貢増徴の為に広大な野原に町立てがされ、近隣農民達の交易場とし賑わい始める(旧福野町・福光町)。さらに旧福光町は、砺波群南部から金沢城下へ向かう二俣越えの交通の要所で、在郷町として栄え江戸末期には加賀藩領内で最大の麻布集散地ともなる。また、旧城端町の古い俳諧史の始まりと共に(旧城端・井波町には芭蕉門による松尾芭蕉塚が建てられ)、京都本願寺御用彫刻師の技法を礎に井波彫刻産業が始まる。明治維新後は政府が生糸や絹織物の輸出を奨励していたことを背景に、藩政時代から全国屈指の特産であった絹織物産業を近代化させることに成功し、特に旧城端町は全国優良町村に選ばれ、当時建設された様々な建造物は今でも残る(詳細は城端町参照)。この頃に城端を訪問した民俗学者・柳田國男の紀行文の描写から「越中の小京都」の呼称が始まる。また、加賀藩時代に鷹狩場であった立野原(旧福光町、城端町)は、明治以降全国屈指の軍事演習場があった史跡を残しつつ、戦後県内最大の開拓地として立野原開拓団がパイロット事業を成功させ畑作を中心に旺盛した。その後、立野原には南砺市唯一のサービスエリアである東海北陸自動車道城端サービスエリアができ、立野原のみならず南砺市には食材や自然環境を生かしたオーベルジュやワイナリー、国内初ウイスキーボドラーズ熟成庫、スポーツ施設が増え、ミシュランガイドにも選出されている。さらに絹文化は今でも残り、「絓絹(しけ絹)」と呼ばれる唯一無二のシルクを用いたブランドJOHANASが、伝統的かつ創造的に共存する日本の絹文化を代表して今に伝える。
2004年(平成16年)11月1日:東礪波郡福野町、井波町、城端町、平村、上平村、利賀村、井口村及び西礪波郡福光町が合併して、南砺市が発足する。なお、井波町、利賀村と隣接していた庄川町も同日、砺波市と合併したため、東礪波郡は消滅した。
市名の由来
2003年4月1日から同年4月30日まで新市名の公募により全国から集まった5,699通、2,752種類の応募の中から「越南市」「光南市」「南砺市」「八乙女市」の4案に絞り込まれ、同年8月2日の合併協議会で委員の投票により「南砺市」と決定した。

2011年(平成23年)3月:文化庁長官表彰「文化芸術創造都市」を全国で13番目に受賞。古くから受け継がれている伝統文化と、新たな創造的な文化の共存が評価された。
2018年(平成30年)5月24日:文化庁「日本遺産」に、南砺市の「宮大工の鑿一丁から生まれた木彫刻美術館・井波」が認定された
2019年(令和元年)7月1日:内閣府により、「SDGs未来都市」及び「自治体SDGsモデル事業」に選定される。
2019年(令和元年)9月14日 - 9月16日:桜ヶ池クライミングセンターにてスポーツクライミング第22回JOCジュニアオリンピックカップ南砺2019(通称 ジュニアオリンピック2019、JOC2019)が開催される。
2020年(令和2年)2月16日 - 2月19日:たいらスキー場及びたいらクロスカントリーコースにて、第75回国民体育大会冬季大会(とやま・なんと国体2020)のスキー競技が行われる。
2021年(令和3年)10月23日:桜ヶ池のクライミングセンターにて南砺市アオハル祭inハロウィンが開催される。予算1000万で南砺市の高校生主導で企画が立案実行される。
2025年(令和7年)12月19日:GigaStream富山株式会社が、データセンター集積地「南砺キャンパス」の建設誘致構想を発表(受電能力は合計で3.1GWとしており、「国内最大のデータセンター集積地」とされている)。
2026年(令和8年)2月28日-3月1日:たいらスキー場にて、FISフリースタイルスキーワールドカップ2026が行われる。
2026年(令和8年)3月13日:AIやブロックチェーンといった暗号技術を組み合わせた金融取引の技術基盤を研究する研究拠点「Nanto」が設置されることが発表される。

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Quelle: Text: Wikipedia – „南砺市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: tsuda, CC BY-SA 2.0 – Wikimedia Commons