Heimatgeschichte · Izunokuni ·

伊豆の国市: 歴史

伊豆の国市: 歴史

=== 原始 ===
旧石器時代:大仁笹子遺跡においてナイフ形石器・剥片等からなる7箇所の石器集中ブロックが、伊豆長岡湯ヶ洞山遺跡においてナイフ形石器を主体とする文化層が確認されている。
縄文時代:大仁地区(旧大仁町)において集中的な分布を示す。
草創期:大仁仲道A遺跡で計773点の草創期の土器が出土、県指定有形文化財に指定。
早期:大仁大平A遺跡、大仁阿原遺跡、大仁菖蒲ヶ池遺跡などで集落が営まれる。
中期:大仁仲道A遺跡、大仁公蔵免遺跡などで集落が営まれる。
後期:韮山神崎遺跡で敷石建物を伴う集落が営まれる。
弥生時代
後期:韮山山木遺跡で水田や方形周溝墓を伴う集落が営まれる。山木遺跡出土木製品は非常に依存状態が良好であり、高床倉庫の建築部材と接合した状態で出土したねずみ返しなどもある。これらの遺物は「山木遺跡の生産・生活用具」の名称で国の重要有形民俗文化財に指定されている。
詳細時期不明:韮山蛭ヶ島遺跡、韮山宮下遺跡、伊豆長岡八ッ島遺跡などで水田遺構が検出されている。

3-4世紀:韮山山木遺跡で集落が営まれる。
5世紀後半:韮山多田大塚古墳群が形成が始まる。大仁笠石山遺跡において第一段階の洞穴祭祀が行われる。
6世紀:市内唯一の前方後円墳である伊豆長岡駒形古墳が造営される。
7世紀前半:大仁笠石山遺跡において第二段階の洞穴祭祀が行われる。
7世紀中頃:北江間横穴群(大北横穴群・大師山横穴群・割山横穴群の3群を包括)の形成が始まる。
7世紀後半:宗光寺廃寺が建立される。
680年:駿河国二郡が分離され、伊豆国が誕生する。
701年:大宝律令発布に伴う国郡里制施行により、伊豆国に田方・那賀・賀茂の3郡が置かれる。
715年:郷里制施行により里が郷へと改められ、郷の下に新たに2~3の里が置かれる。田方郡内における郷は平城京跡出土荷札木簡により棄妾、有雑(有参)、久寝などの郷が確認されている。
930年頃:『和名類聚抄』において新居、小河、直見、佐婆、鏡作、茨城、依馬、八邦、狩野、天野、吉妾(棄妾)、有辨(有雑・有参)、久寝の13郷が確認。このうち茨城、依馬、八邦、天野の4郷が伊豆の国市内に比定されている。
1160年:3月、平治の乱に敗れた源頼朝が伊豆国に配流され、伊豆の在地豪族北条時政が頼朝の監視役を務める。
1173年:高尾上人文覚、院中の悪言により伊豆に配流される。
1177年頃:源頼朝、時政の娘北条政子と結ばれる。
1179年:1月、平兼隆が伊豆国山木郷に配流される。のち、懇意であった平時忠とその猶子平時兼が伊豆国知行国主となったことにより伊豆国目代に任命され、山木氏を称する。

1180年:8月、以仁王の令旨を受け源頼朝挙兵。山木兼隆の館を襲撃する。兼隆は加藤景廉によって討たれる(山木館襲撃)。
1189年:北条時政、奥州合戦における源頼朝の戦勝祈願のため願成就院を建立する。
1333年:北条高時の母覚海円成により北条氏邸内に円成寺が建立される。
14世紀中頃:関東管領山内上杉氏により奈古谷に国清寺が建立される。
1353年:畠山国清、関東管領となり鎌倉公方足利基氏を補佐する。併せて伊豆国守護となる。
1361年:畠山国清、鎌倉公方と関係悪化。修善寺城・三津城・金山城で鎌倉公方勢に抗戦するも、翌年敗れる。
1458年:足利政知、幕府の命により鎌倉公方として関東へ下向するも、旧公方足利成氏方に阻止され伊豆国清寺に逗留。『北条五代記』では、この頃に政知家臣である外山豊前守が韮山城を築城したという。
1460年:成氏方により国清寺焼き討ち。政知は北条氏菩提寺である円成寺を接収する形で御所を構える。堀越に御所を構えた政知は堀越公方と、下総古河に御所を構えた成氏は古河公方と呼ばれた。
1491年:4月、足利政知死去。政知には茶々丸、清晃、潤童子の3人の息子がおりそれぞれ順に廃嫡、出家、後嗣という状況にあった。しかし同年七月、茶々丸により義母円満院と弟潤童子が殺害され、堀越公方は事実上茶々丸が継承した。
時期不明:韮山城が築かれる。
1493年:伊勢宗瑞(北条早雲)、堀越公方足利茶々丸討伐のため伊豆討ち入りを開始。伊豆国内の在地豪族では大見三人衆、江梨鈴木氏、三津松下氏、田子山本氏、妻良村田氏、雲見高橋氏、土肥富永氏などが早雲方として参戦した一方、狩野氏、関戸氏、伊東氏などは茶々丸方として早雲と敵対した。
1498年:伊勢宗瑞、伊豆国を平定する。
1500年頃:伊勢宗瑞、韮山周辺を本拠地とし韮山城の整備を行う。

1590年:豊臣秀吉、韮山城攻めに伴い韮山城を取り囲む付城群を築く。
1857年:韮山代官江川英龍による建議のもと、江戸幕府直営として韮山反射炉が築造される。竣工時には英龍は既に死去しており、息子江川英敏が築造を進めていた。

1921年(大正10年):吉野作造、韮山大仙山麓において学者村・韮山別荘団の造営に着手。
1930年(昭和5年):北伊豆地震発生。
1940年:高井治兵衛、韮山温泉土地株式会社を設立。北伊豆地震や吉野作造死去を契機に低迷した大仙山麓の別荘地を引き継ぎ造成を続ける。
1950年:韮山山木遺跡の第一次発掘調査が行われる。
1951年:狩野川放水路の建設工事が始まる。
1958年:狩野川台風発生。特に白山堂地区、御門地区、南條地区が甚大な被害を受ける。
1965年:狩野川放水路の竣工。

2005年(平成17年):4月1日、田方郡伊豆長岡町・大仁町・韮山町が合併、伊豆の国市発足。
2015年:7月、韮山反射炉が「明治日本の産業革命遺産-製鉄・製鋼、造船、石炭産業-」の構成資産として世界遺産に登録される。

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Quelle: Text: Wikipedia – „伊豆の国市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: 立花左近, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons