Heimatgeschichte · Himi ·

氷見市: 歴史

氷見市: 歴史

氷見の地名の由来について氷見市ホームページでは、1.古代、蝦夷防備の狼煙を監視する場所で、狼煙の火を見るところだから火見と言った。2.海をへだてて、立山連峰の万年雪が見えるところだから氷見と言った。3.海の漁り火が見えるところだから火見と言った。4.海が干し上がって、陸地になったところだから干海(ひみ)と呼んだ、等様々な説があると紹介している。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、射水郡氷見町、朝日村、朝日新町村、池田新村、岩上村、大野新村の区域の一部、加納村の区域の一部及び鞍川村の区域の一部をもって、射水郡氷見町が発足する。
1896年(明治29年)3月29日 - 郡制の施行のため、射水郡の区域から分立して、氷見郡が発足により、氷見郡に所属となる。

1923年(大正12年)3月7日 - 十二町潟のオニバスが天然記念物に指定される。
1937年(昭和12年)12月末 - この時点での人口は14,851人、面積は2.27km2。
1938年(昭和13年)9月6日 - 氷見町大火: 下伊勢町から煙草の不始末により出火。台風の影響によるフェーン現象に見舞われ南東の風にあおられて市内に広がる大火となった。
1940年(昭和15年)
4月1日 - 氷見郡加納村を編入する。
10月1日 - 氷見郡稲積村を編入する。
1952年(昭和27年)8月1日 - 氷見郡氷見町が氷見郡碁石村、八代村及び余川村を編入する。同日、市制施行して、氷見市となる。当時の面積は57.52 km2、人口は1953年(昭和28年)3月時点で30,094人。
1953年(昭和28年)
11月1日 - 氷見郡窪村及び宮田村を編入する。
12月1日 - 氷見郡上庄村及び熊無村を編入する。
1954年(昭和29年)4月1日 - 氷見郡阿尾村、藪田村、宇波村、女良村、久目村、神代村、十二町村、速川村、布勢村及び仏生寺村を編入する。最終的に高岡市に編入する太田村を除く氷見郡の全域が氷見市の区域となる。当時、1つの郡が1つの市になることは極めて異例だった。
1963年(昭和38年)8月23日 - 市制10周年を記念し「氷見市民の歌」を制定。
1964年(昭和39年)5月 - 中町の郵便局前の交差点に市内初の交通信号灯(信号機)を設置。
1982年(昭和57年)3月4日 - 氷見市教育文化センターオープン(氷見市立博物館や氷見市立図書館、中央公民館等の複合施設)。
1995年(平成7年)7月29日 - 「キットちゃん」を市のシンボルキャラクターに指定。
1996年(平成8年)12月6日 - 国道160号氷見バイパス全線開通。
1998年(平成10年)6月24日 - 柳田布尾山古墳が発見される。
1999年(平成11年)11月16日 - 阿尾島田古墳群が発見される。
2002年(平成14年) - 市制50周年・氷見青年会議所開所30周年を記念して「ひみキトキトまんが道大賞」を創設(2016年の第15回を最後に休止)。
2008年(平成20年)4月1日 - 金沢医科大学氷見市民病院が開院。
2012年(平成24年)10月5日 - ひみ番屋街がオープン
2014年(平成26年)
4月 - 地元出身の漫画家・藤子不二雄Ⓐが2000年に「氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館」(2012年閉鎖)用にデザインした「ひみぼうずくん」が市の公式マスコットに指定される。
5月7日 - 旧・富山県立有磯高等学校体育館および校舎に庁舎を移転。
2022年(令和4年)10月8日 - 氷見市芸術文化館がオープンする。
2024年(令和6年)1月1日 - 能登半島地震で震度5強を観測。家屋の倒壊や断水といった被害が発生。
2026年(令和8年)8月27日 - 集中豪雨により市内一帯が冠水。市内で床上浸水166棟、床下浸水351棟以上の被害。孤立集落も発生した。
かつて氷見町には電燈会社があった。松阪水力電気(本社三重県、社長才賀藤吉)が氷見電気より事業を譲受(許可1911年(明治44年)5月)し、氷見支社を設立。1911年7月事業を開始した。氷見町に発電所(瓦斯力)があり供給区域は氷見町、加納村、稲積村、窪村だった。現在は北陸電力の営業エリアである。

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Quelle: Text: Wikipedia – „氷見市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: officeshema, CC BY 3.0 – Wikimedia Commons