南島原市: 歴史
=== 中世・近世 ===
1496年(明応5年)、有馬貴純が現在の市域南側の位置に原城を築城し、以後、戦国時代から江戸時代初期にかけて、有馬氏が現在の市域にあたる区域を統治した。中でも有馬義貞とその子有馬晴信はキリシタン大名であり、彼らの理解があった。キリシタン大名であった有馬親子2代の統治のもと、キリスト教信者が増加し、1580年(天正8年)にセミナリヨが開設され、多くのキリスト教文化、ひいてはヨーロッパ文化が流入した。一例としては、天正遣欧少年使節がグーテンベルク印刷機を持ち帰って印刷したキリシタン版と呼ばれる日本最初の活版印刷があげられる。
しかし晴信の子有馬直純の代になると、江戸幕府より禁教令がしかれたため、キリシタン大名であった直純も棄教し、逆にキリスト教を迫害した。1614年(慶長19年)に直純の願い出により有馬氏は転封、代わって松倉氏が入封し、松倉重政とその子松倉勝家により、キリシタンに対する弾圧をはじめとする圧政が行われる。
1637年(寛永14年)に島原の乱が勃発。一揆軍は一国一城令により放棄されていた原城跡に籠城し抵抗を行ったが、幕府軍に鎮圧された。現在の市域にあたる区域に居住していた住民のほとんどは乱後に処刑され、その後、松倉氏に代わって入封した高力忠房の復興政策により全国各地から新たな住民が入植したといわれる。
1871年(明治4年)
旧暦7月14日(8月29日) - 廃藩置県により、島原県の管轄となる。
旧暦11月14日(12月25日) - 第1次府県統合により、長崎県の管轄となる。
1872年(明治5年) - 高来郡隈田村・有家町村・有田村が合併して有家村となる。
1878年(明治11年)10月28日 - 郡区町村編制法の長崎県での施行により、高来郡のうち現在の市域を含む島原半島34村の区域に行政区画としての南高来郡が発足。
1879年(明治12年) - 有家村が分割して西有家村・東有家村となる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、現在の市域にあたる以下の9村が単独村制にて発足。
加津佐村・口之津村・南有馬村・北有馬村・西有家村・東有家村・堂崎村・布津村・深江村
1927年(昭和2年)
1月1日 - 東有家村が町制施行・改称により、有家町が発足。
4月1日 - 西有家村が町制施行し西有家町が発足。
1928年(昭和3年)
1月1日 - 加津佐村が町制施行し加津佐町が発足。
4月1日 - 口之津村が町制施行し口之津町が発足。
1932年(昭和7年)1月1日 - 南有馬村が町制施行し南有馬町が発足。
1956年(昭和31年)9月30日 - 有家町と堂崎村が対等合併し、新町制の有家町が発足。
1962年(昭和37年)5月3日 - 深江村が町制施行し深江町が発足。
1969年(昭和44年)4月1日 - 北有馬村が町制施行し北有馬町に、布津村が町制施行し布津町が発足。
2006年(平成18年)3月31日 - 加津佐町・口之津町・南有馬町・北有馬町・西有家町・有家町・布津町・深江町が新設合併し市制施行。南島原市が発足。これにより、南高来郡が消滅。
1990年(平成2年)から1995年(平成7年)まで続いた雲仙普賢岳の噴火による火砕流や土石流により、当時の深江町では大野木場小学校の校舎が焼失するなど大きな被害を受けた。
2009年(平成21年)8月7日 - 雲仙おろしのフェーン現象により市内全域が猛暑となり、40℃を超えた場所もあった。