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長与町: 歴史

長与町: 歴史

北東端の堂崎では約2万年前の旧石器時代の石器が出土している。この頃は現代より海水面が低く、大村湾は海ではなく盆地だったと考えられている。また、石器の原料である黒曜石やサヌカイトは針尾島や北松浦半島で産出することから、移動もしくは交易があったと推定されている。

==== 明治 ====
1907年(明治40年) - 長与村役場庁舎が嬉里郷636で落成。

1958年 (昭和33年) 7月13日 - 役場本庁舎が建て替えられ、新庁舎で業務開始。
1968年(昭和42年)- 公募により村章を制定。
1969年(昭和44年)1月1日 - 町制施行して、長与町となる。
1973年 (昭和48年) 7月20日 - 公募により町花・町木(うめ)を制定。
1982年(昭和57年)
4月30日 - 人口3万人到達。
7月23日 - 1時間最大雨量187mmを役場雨量計で記録。日本での観測史上最大値(長崎大水害)。
1988年 (昭和63年) 5月30日 - 役場本庁舎が、現在地(嬉里郷659-1)に新築移転、新庁舎での業務開始。

1989年 (昭和64年/平成元年)
町制施行20周年。
11月3日 - 長与町歌(『明日をひらく』作詞:山田喜孝、作曲:指方浩)を制定、発表。
1997年(平成9年)
5月19日 - アメリカ合衆国コネチカット州ウェザーズフィールド町と姉妹都市締結。
1999年(平成11年)
町制施行30周年。
長与町のマスコットキャラクター(みっくん)が決定。
人口4万人到達。
2002年(平成14年)10月 - 西彼中部三町(時津町・長与町・琴海町)合併協議会が発足。
2004年(平成16年)12月 - 合併協議会を離脱し、協議会は解散。3町の平成の大合併は実現しなかった。

2010年(平成22年)
4月 - パスポート業務が長崎県から長与町に移管。これに伴い、長与町民は長与町役場でパスポートの申請・受け取りができるようになった。
7月 - アメリカコネチカット州の姉妹都市ウェザーズフィールド町と学校間パートナーシップを締結。
ウェザーズフィールドの公立小学校より、教諭が長与町を訪問。
2011年(平成23年)
3月22日 - 水道局が、現在地に新築移転、新庁舎での業務開始。

1871年(明治4年)
旧暦7月14日(8月29日) - 廃藩置県により、大村県の管轄となる。それまでは大村藩領だった。この時、高田村が廃され長与村に合併。高田郷となる。
旧暦11月14日(12月25日) - 第1次府県統合により、長崎県の管轄となる。
1878年(明治11年)
10月28日 - 郡区町村編制法の長崎県での施行により、彼杵郡の区域の内、西彼杵半島並びに周辺島嶼部の区域、長崎半島並びに周辺島嶼部の区域及び高来郡の区域の一部をもって、行政区画としての西彼杵郡が発足する。
1879年 (明治12年) - 長与村が南北の区域に分割される。
1880年 (明治13年) - 南北の区域が合併して、長与村が発足する。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、長与村の区域をもって、長与村が発足する。
1969年(昭和44年)1月1日 - 町制施行して、長与町となる。
2001年(平成13年)- 町界町名変更により吉無田郷及び高田郷の区域の一部より分立して、まなび野一丁目-三丁目を新設する。地番整理を実施。
2017年(平成29年) 3月3日 - 榎の鼻土地区画整理事業の換地処分。翌3月4日、換地処分の対象地(嬉里郷と高田郷の一部に跨っていた)に、町界町名変更により北陽台一丁目-二丁目を分立し、地番整理を実施。

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Quelle: Text: Wikipedia – „長与町“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Luck-one, Ja luck-one, CC BY 2.5 – Wikimedia Commons