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菰野町: 歴史

菰野町: 歴史

=== 近代以前 ===
807年(大同2年)-最澄(伝教大師)により国見岳 (三重県・滋賀県)に天台宗の大寺院三嶽寺が建立。
南北朝時代に千種忠顕が南朝方として活躍し、三重郡二十四郷を与えられ禅林寺城を居城とする。忠顕の子千種顕経の時に千種城を築いて拠点を移したと伝えられる。
室町時代頃より桑名から京都・近江へ向かう際に横断する鈴鹿山脈の峠は、主なものとして、北から鞍掛峠、治田峠、石榑峠、八風峠、根ノ平峠、安楽峠などがある。中でも菰野町千種から根ノ平峠を越えて、現在の滋賀県東近江市永源寺町甲津畑まで至る「千種越え」と菰野町田光から八風峠を越えて、永源寺町杠葉尾までの八風街道「八風越え」とが多く利用された。「八風越え」は桑名と近江の八日市・近江八幡を結ぶ重要な通商路で、近江の保内商人(近江蒲生郡得珍保内の今堀・蛇溝・中野・今在家などの諸郷の商人で、鈴鹿山脈を越える商人)が商業を独占していた。永禄2~3年(1559~1560年)の「保内商人申状案」によると、保内商人が八風・千種越えで、千種氏から両峠の流通独占権を認められ、その見返りとして役銭を支払っていた記録がある。保内商人は桑名で東海地方の産物である、主に麻の苧、紙、木綿・荒布・伊勢布、土の物、塩、曲物、油草、若布・海苔、鳥類、魚類などを仕入れ、近江や京都で販売した。また近江からは、京都で生産された物資の他、木地師がこしらえた盆・椀・曲物、木炭、麻などの山のものが桑名へ運ばれて、尾張以東の諸国へ送られて販売された
1555年(弘治元年)-近江国から佐々木六角氏が侵攻。千種氏は後藤但馬守賢豊の弟を養子に迎えて和睦し、千種三郎左衛門と称した。以後、千種城は六角氏の北伊勢侵攻の拠点となった。
1568年(永禄11年)-織田信長の命により、尾張から滝川一益の軍勢が押し寄せ、三嶽寺の他、引接寺(天台宗)、慈眼寺(天台宗)、正眼寺(天台宗)、清安寺などが同時に焼き討ちされて消滅し、多くの貴重な文化財が失われた。禅林寺 (三重県菰野町)(臨済宗妙心寺派)も焼き討ちされたものの復興し、現在に至っている。
1600年(慶長5年) - 土方雄氏が菰野城に入り菰野藩(1万2千石)を創設し、城下町として発展。
1871年(明治4年) - 廃藩置県により菰野藩が廃藩となり、翌年、三重県に編入。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、菰野村・宿野村・福村・神森村の区域をもって三重郡菰野村が発足。
1928年(昭和3年)10月1日 - 菰野村が町制施行して菰野町となる。
1956年(昭和31年)9月30日 - 鵜川原村・竹永村と合併し、改めて菰野町が発足。
1957年(昭和32年)1月15日 - 朝明村を編入。
1959年(昭和34年) - 御在所ロープウェイが開通。
1960年(昭和35年)- 日本カモシカセンターが開園。2006年(平成18年)11月30日に閉園。
1980年(昭和55年) - 第31回全国育樹祭が開催。
1989年(平成元年) - 町営の斎場が完成。
1992年(平成4年)- 四日市西警察署が完成。
1993年(平成5年) - 道の駅菰野がオープンする。第17回全国育樹祭が開催。
1999年(平成11年) - 保健福祉センター「けやき」が完成する。福祉バス(現コミュニティバス)運行が開始。
2000年(平成12年) - 葬祭会館が開館する。公共下水道の供用が開始。
2002年(平成14年) - 菰野町役場の新庁舎が完成。
2003年(平成15年) - パラミタミュージアムがオープン。
2004年(平成16年) - コミュニティバスの運行が開始。
2005年(平成17年) - 田光のシデコブシ及び湿地植物群落が国の天然記念物に指定。
2006年(平成18年) - 第1回かもしかハーフマラソンが開催。
2008年(平成20年) - 菰野町図書館が完成。
2018年(平成30年) - 湯の山かもしか大橋が開通。

この一帯が開拓前、マコモ(真菰・真薦、イネ科の多年草)などが生い茂る原野であったことから「こもの」と命名された。他に「薦野」「古茂野」の表記がある。

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Quelle: Text: Wikipedia – „菰野町“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: 文屋将監, CC BY 3.0 – Wikimedia Commons